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「沈まぬ太陽」乗員版・解雇編「沈まぬ太陽」乗員版・解雇編

会社の思うようにならない乗員組合に対し、会社は組合の役員選挙への介入、脱退工作などの不当労働行為を行い、ついには4名の組合役員を、前年行った2度のストライキの責任追及を理由に解雇しました。

しかし、争議理由、争議予告義務や、争議の規模、態様についてもすべて正当なものと労働委員会や裁判所に認められました。

解雇撤回まで8年もの歳月を費やしたのは、16もの第三者機関の判断が下されるほど、会社が頑なに解雇撤回を認めようとしなかったからです。その間の詳しい経緯を日航乗員小史より見ていきます。
 

「解雇・差別撤回に関する闘い」
運乗成立と組合統一にも触れて
 

‘65年(昭40)4月27日、日本航空は前年(昭39)11月及び12月に乗員組合(以下組合又は第一組合)が実行したストライキは「争議権濫用に当たる違法ストライキであり、これを企画実行した責任者」として、小嵜誠司(おざき せいじ)委員長・田村啓介(たむら けいすけ)副委員長・藤田日出男(ふじた ひでお)書記長・丸山巌(まるやま いわお)教宣部長(何れも当時)の四名を懲戒解雇した。

 これに対し一ヶ月後の同年5月27日 、組合は「ストライキは適法に実施された。解雇は無効で社員としての地位を保全せよ」との仮処分を求めて東京地方裁判所(以下地裁)に提訴した。

 同日、機長会は突然、「機長は全員組合から脱退する」旨を声明した。

 組合は、提訴以来僅か十ヶ月後の‘66年(昭和41)2月26日、地裁仮処分に勝訴したが、会社は解雇を撤回せず、同地裁に「仮処分異議申し立て」をしたため、組合は直ちに同年3月26日、地裁に本訴を提起した。

 一方「機長無し」で頑張り、仮処分裁判に勝訴して勢いづいた組合は、裁判所(司法機関)での判断を基盤にして、同年4月24日「組合役員の解雇は、組合潰しの不当労働行為」として東京都労働委員会(行政機関・以下都労委)に「原職(乗員)復帰の救済命令」を求めて申し立てを行った。

 組合は、解雇事件を裁判所と労働委員会、即ち司法と行政の二本立てで闘うことにより解雇の不当性を広く社会に明らかにするという方針をとった。

 組合役員を解雇しても、機長を脱退させても活動力の落ちない組合に対して、会社は
‘66年(昭41)7月25日、一部組合員機長を利用して運乗組合を発足させた(注1)。

 組合は、会社の激しい分裂攻撃の前に極小組合(組合員8名)に転落し、財政的にも心理的にも辛酸をなめたが、当初からの方針を堅持して闘うなか、分裂から一年後の‘67年(昭42)8月1日、都労委に於いて組合申し立て通り、4名の「原職復帰の救済命令」を勝ち取った。

 会社は、弱小組合の「勝利」など意にも介する事なく、命令を履行せず直ちに同年9月13日、中央労働委員会(以下中労委)に再審を申し立てた。≪労働組合法は、再審の申し立てをしても初審命令(本件では都労委命令)は履行しなければならないと定めており、法無視の傲慢な会社姿勢が、後述する「会社に対する過料(罰金)」の原因となる≫

都労委に於ける勝利にも拘らず、会社と運乗(第2組合)執行部の執拗な介入・差別の攻撃を受けて、組合の活動は低迷気味であったが、‘69年(昭44)を迎え、解雇されていない組合員(4名)らに対する不当差別を都労委に申し立てるなど新たな闘争が加わり、また運乗内では組合民主化の兆しが見え始めた。

 これらの状況変化と並行するように、裁判や労働委員会での勝訴が連続した。‘69年(昭44)4月14日には、組合員築野淳司(つくの あつし)・山田隆三(やまだ りゅうぞう)らに対する機長昇格に必要な国家試験の「受験差別」について都労委に救済の申し立てを行い、同年8月18日には救済命令を得た。

 さらに受験日確保のため築野組合員は、年次有給休暇(年給)を会社に要求したが認められず、地裁に「年給取得」の仮処分を求めて提訴し同年9月10日勝訴した。

 解雇事件に於いては、‘69年(昭44)7月2日、組合は都労委に続き中労委でも、「原職復帰の救済命令」を勝ち取り、二審制を採る労働委員会での闘いは三年余りで完勝したが、会社は同年8月1日、今度は中労委を相手に「命令取消し」の行政訴訟を地裁に提訴した。

 同年9月29日、地裁での本訴裁判に於いて組合が完全勝訴、裁判所執行官がバックペイ(賃金未払い分1,800万円)の差し押さえのため、本社及び中央運航所(羽田オペレーションセンター)に出向いた。会社は差し押さえ寸前、自ら全ての金員を組合に支払った。しかし解雇は撤回せず、同年10月11日東京高等裁判所(以下高裁)に控訴した。(会社は「仮処分異議申し立て」も棄却され同じく高裁に控訴した)

 翌9月30日、かねて中労委から「会社は原職復帰の命令を履行していない」との報告を受けていた地裁は、会社に対し「中労委命令に従って直ちに原職に復帰させよ」との「緊急命令」を出した。徹底抗戦の会社は直ちに9月25日「緊急命令変更」の申し立てをしたが、同地裁は11月19日これを棄却した。

 中労委(行政機関)命令を地裁(司法機関)が支持し、その履行を命じたことは、会社にとって大きなダメージとなった。

 会社はこの事態を打開するカギを職場に求め、ユニオンショップ制を含んだ労働協約を運乗と締結することによって、仮に会社が法的に解雇を撤回せざるを得なくなっても、職場が受け入れないという体制をつくり、被解雇者らを排除しようと企てた。

 しかし、運乗組合員の反発は強く、大会でユニオンショップ条項については全員投票にかけることが決まって、執行部独断による会社との闇取引は回避された。

 全員投票は2回の不成立の後、第3回目で否決されたが、執行部は若干の修正をほどこして4回目の投票に持ち込んだ。

しかし、この投票中、‘70年(昭45)1月21日、205票にのぼる賛成票がニセ用紙によること(いわゆる不正投票事件)が発覚、一部機長執行委員の関与が取り沙汰されるなか、疑惑を感じた組合員らの組合民主化への気運は一気に高まった。

 約六ヶ月後の、機長全員管理職制度による機長の非組合員化を予感させる動きでもあった。   

 この間、‘69年(昭44)7月11日、会社が撤去しようとした組合掲示板を確保すべく地裁に起こした「掲示板確保」の仮処分で勝訴した。

 前述の築野組合員の「年休確保」の勝訴と並んで、会社の無法ぶりを示す例として地裁職員の間でも話題になったという。

 緊急命令で追い詰められ、労働協約の改悪にも失敗した会社に、追い打をかけたのが
‘70年(昭45)5月18日、地裁が会社に出した「緊急命令違反」による過料(罰金)200万円の決定であった。(会社はこれを無視「200万円の過料取消」を求めて、同年6月25日高裁に即時抗告した)

 翌5月19日、都労委は乗務手当差別に関する団体交渉の開催や、丹羽叡(にわ あきら)・坂井正一郎(さかい しょういちろう)組合員に対する基本賃金差別について組合申し立て通りの救済命令を出した。

‘70年(昭45)7月31日、機長全員管理職制度(注1)によって「機長無し」となった運乗は、急速に第1組合と接近し、同年12月23日の組合大会に於いて、「乗員は一つ」の画期的な方針を採択した。

‘71年(昭46)3月19日、会社が行った「過料(罰金)200万円取消」の即時抗告を高裁が棄却、会社は直ちに3月25日、最高裁判所(以下最高裁)に「特別抗告」を行った。

 同年5月24日、運乗は先の「乗員は一つ」の方針に沿って、「高裁判決に従い、解雇を撤回すべき」旨の見解を公表した。

 翌5月25日、地裁は会社に対し「緊急命令違反」による「第二次過料(罰金)200万円」を決定するも、会社はこれを受け入れず、6月初旬高裁に即時抗告したが、二ヶ月後の8月には棄却され、最高裁に特別抗告した。

 この結果、第一次及び第二次の過料(罰金)取消の特別抗告と本訴上告の三件が最高裁で係争することゝなった。

‘71年(昭46)10月23日、運乗は解雇事件での「公正判決」を最高裁に要請、12月12日には第一組合との統一促進のための署名を開始した。

 元気づけられた組合は翌年2月26日、都労委に「築野・山田・丹羽・坂井の各組合員を機長候補者として扱え」との命令を求めて救済を申し立てた。

‘72年(昭47)3月27日、労働大臣が労使関係の(正常化)について注意喚起するなか、4月26日、運乗は解雇撤回の要求を決定した。

 会社はこの要求書の受取を拒否するなど、強硬姿勢を見せたが、かえって会社方針の孤立ぶりが目立つようになった。

 同年7月31日、会社は中労委を相手に地裁に提訴した行政訴訟に完敗し、(直ちに高裁に控訴)続いて8月15日、都労委から「築野・山田・丹羽・坂井の四名を機長候補者として訓練しなければならない」旨の命令を受けた。(会社は直ちに中労委に再審を申し立てた)

 更に、後述する10月20日の統一ストライキ(いわゆる10.20闘争)に向けて、職場に緊張感みなぎるさなかの9月22日、地裁は会社に対し「緊急命令違反」により「過料(罰金200万円)」(第三次分・合計600万円)を決定した。

 会社は前例通り直ちに高裁に即時抗告したが、益々、行政・司法の両面での追求により孤立した。

同年10月20日、管理職であった佐竹仁・尾崎行良機長らの脅し(仙台基礎訓練所における“ストライキに賛成するなら機長にしない”など)に屈することなく、賃金要求で初のスト権を確立した運乗と第一組合は、合同闘争委員会の決定により、解雇撤回を含む要求で、統一ストライキを構えた。

ストライキは回避されたが、両組合が示威した団結力は情勢を動かし、翌‘73年(昭48)1月26日、最高裁が第一次及び第二次「過料(罰金)取消」の特別抗告を棄却するや、会社は遂に理不尽な抵抗を諦め、全ての係争中の事件(最高裁2件・高裁2件)を取り下げて、3,000日に及ぶ解雇の撤回を表明した。

 引き続き、2月3日、先に都労委で救済命令のあった機長昇格差別を撤回させ、中労委に於いて和解協定を締結し、築野・山田・丹羽・坂井の四名は、機長昇格候補者として訓練に入ることになった。

‘73年(昭48)7月19日、組合は本社に於いて、運乗執行委員会(委員長・小塚 剛 こづか つよし)同席の下、合同団体交渉の席上で解雇撤回協定に調印した。

その後両組合は組織統一のための投票(圧倒的賛成)を経て、同年11月22日の統一を主題とした大会に於いて、統一宣言を採択、歴史的な組合統一を成し遂げ、その名称も「日本航空乗員組合」を継承することゝなった。

 機長は、‘77年(昭52)のアンカレッジ牛輸送・クアラルンプールでの各墜落事故、
‘82年(昭57)羽田事故を経て、‘85年(昭60)123便の大事故の後の翌‘86年(昭61)6月12日の機長組合設立まで「機長会」のメンバーであった。

 訓練生は、‘79年(昭54)12月15日、組合の働きかけにより全員組合に加入した。 

以上のように、会社はあらゆる手を使って解決を引き延ばし、挙げ句の果てには公的機関の命令も無視するという暴挙に出ます。
しかし1972年の連続事故後、国会での追及、世論の批判に抗しきれず、解雇を撤回せざるを得なくなりました。
この間の被解雇者の苦労はいかばかりのものだったでしょうか。
御巣鷹山での123便事故のときもそうでしたが、日本航空という会社は事故を起こし尊い人命を失ってからでないとその卑劣な労務姿勢を変えようとはしません。現在も乗員組合の勤務関連問題(東京地裁で会社は敗訴、東京高裁に控訴中)や、機長組合の長時間乗務手当問題などで提訴されています。これらの問題も、事故で人命が失われるまで解決しようとしないのでしょうか・・・。運航の現場では「いつ事故が起きてもおかしくない」という声が挙がっているのです。

EMI防止の緊急要求EMI防止の緊急要求

《50通を超えた報告》 日本航空の3乗組では、1999年9月に発生したJL69便関西事例をきっかけとして、電磁干渉(EMI)が疑われる事例を収集してきましたが、皆様方のご協力により、現場から寄せられた事例や意見が50通を超えました。 また、その中にはいくつかの貴重なご意見も寄せられていますが、報告やご意見を集計してみると、「機内での携帯電話などの電子機器の使用中止を求める」声が非常に多く、実際に異常が生じた際には機内で何らかの電子機器が使用されていたケースが大半を占めています。 《“携帯電話の使用禁止策”を緊急要求》 携帯用電子機器の中にはOMで使用が認められたものもあるため、影響が考えられる全ての電子機器を禁止するには、もう少し検証を進める必要がありますが、機長組合はとりあえずの対策として“携帯電話の使用禁止”を乗客に促すために、「使用禁止の掲示をゲートに表示すること」と「使用禁止を呼びかけるため、より具体的な機内アナウンスを行う」という2点を要求しました。                《更なる取り組みには、より多くの事例を》 最近は世界中でEMIに関する研究が行われつつあり、携帯電話のような本来電波を発する機器に限らず、携帯用電子機器全般についても“安全とは言いきれない”状況が明らかになってきていますが、3乗組としても“より多くの事例”をもって、取り組みを強めていきたいと思いますので、今後も異常を感じられたら、組合まで報告して下さるようお願いします。 2000年11月30日 JCA 15-30 日本航空株式会社 代表取締役社長 兼子 勲 殿  日本航空機長組合 執行委員長 岡崎 憲雄 安全に関する緊急要求

日本航空706便事故について日本航空706便事故について

上下運動により負傷者が発生した事故に関し、運輸省航空事故調査委員会(事故調)は1999年12月17日、最終報告書を運輸大臣に提出しました。 706便事故は、日本で発生した始めてのハイテク機の事故であったため、社会的にも強い関心を集めました。 それに先立つ1997年9月5日、事故調は「建議と経過報告」を発表し、当該事故は機体の特性と乗員の操作が関連しあった“PIO”と呼ばれる現象であった可能性があると述べ、“PIOは不適切な操作が原因”との誤った理解により、主として乗員の訓練を強化する内容の建議を行いました。 しかし“PIO”という現象は機体の設計上の欠陥であることは、現在では世界の航空界の常識となっており、この点についての認識も事故調にはあると見られますが、報告書はなぜか機体そのものの問題点を避けて通る形となっています。 しかも事故調が行った調査は、事故当時に乗員がどのような操作を行ったかという点について、一切の聞き取り調査を行わないままに、乗員の操作に問題があったとの前提で進められました。 それに対して、日本航空機長組合は“事故調の調査姿勢は初めから原因を決めてかかっており、科学的な調査とは言い難い”との主張を展開し、事故調の経過報告に述べられた内容の多くの矛盾点を指摘し、事故調に対して申し入れを行うと共に、マスコミに対しても記者会見を行って説明を行ってきました。 事故調が発表した推定原因の根幹を成すものは、次のようなシナリオです。 ?@ 自動操縦装置を使用中に、機長が操縦桿をオーバーライドして引いたため、自動操縦装置が外れてしまった。 ?A 自動操縦装置が外れたために、綱引きで一方が急に手を離したような状態となり、その反動で急激な機首上げが発生した。 ?B 姿勢の変動を立てなおそうとして操縦桿を押し引きしたため、かえって機首振動を増幅してしまった。 この推定原因については、機長組合がこれまでにも具体的な矛盾点を指摘して来ましたが、最終報告書が発表されたのを機会に、事故調による調査内容を改めて検証してみる事にします。 706便事故調査について事故の概要機長組合調査による当該便機長の証言事故調査報告書概要機長組合が同意する点と異議を唱える点報告書の問題点事故調査委員会による結論機長組合による推定原因用語の解説MD-11 の問題点  目次に戻る 

PIOとはPIOとは

米国の航空専門誌(Aviation Week and Space Technology) 1997,3,24より引用 National Research Councilの最近の発表によれば、新しいFly-by-WireやFly-by-Light航空機では、Flight Controlに関する予想外の問題が発生している。 本来、不安定な飛行機に対して、安定性及び操縦性を与えるために開発されたFly-by-Wire等の新技術は、意図せざる方向への効果と予期せぬ問題を引き起こす可能性を、潜在的に持っている。 このような航空機の取り扱いに対する弊害を探し出すには、設計段階でのより慎重な検討や、より多くの試験飛行・Simulatorによる検証が必要となる。 最近起こった軍や民間のFly-by-wireの航空機が巻き込まれた事故・インシデントに鑑み、NASAはNational Research Council(NRC)に対して、飛行の安全にかかわるAircraft-Pilot Coupling(APC)の研究をするよう依頼した。 その目的は、Pilot・航空機・操縦装置間の力学的な相互作用が、不安定な飛行状態を引き起こす状況を研究する事である。 NRC委員会はAPC(Aircraft-Pilot Coupling)という言葉を次の二つの理由から採用した。つまり、“PIO(パイロットが引き起こす振動)”という言葉から連想される、非難めいた印象を払拭する事と、単に振動だけでなく、Pilotと航空機の間で起こる、意図せざる相互作用にまで適用範囲を広げるためである。 Fly-by-wireの航空機が出現する以前は、意図せざる航空機の振動は“ヘボパイロット”のオーバーコントロールによるものだと非難され、そこからPIOという言葉が使われるようになった。しかし最新のComputer化されたFlight Control Systemにおいては、パイロットは操縦系統の一部を占めるに過ぎなくなっているという事から、委員会ではPIOの定義を“Pilot-Involved Oscillation(パイロットが巻き込まれた振動)”と変更した。PIOには軽度で簡単に押さえる事の出来る動きから、激烈で危険性を伴う振動まである。 報告によれば、パイロットのせいにされる多くのAPCは、実際の所は設計の不適切さの結果といえる。このような意図せざる振動が発生した場合、パイロットの操作はその激しい振動を押さえる方向にではなく、むしろ拡大させる方向に陥らされる可能性がある。このPIOは、命の安全が保障された安全なSimulatorでは、検証されにくいものである。 Fly-by-wireの航空機では、パイロットの操作が、操舵面には直接つながっていない。操作信号は、作動装置に電気信号として伝えられるため、パイロットは舵面の動く早さや、舵面が限度一杯に動いたなどという感覚を感じ取る事はできない。そこからパイロットの考えと実際の機体の動きに不一致が生じ、APCへとつながるのである。 Fly-by-wire機の利点は、設計者が操縦装置を非常に精密なものへと発展させる事が出来る点である。航空機の性能や安全性を高める目的で、そのSystemは飛行状態や飛行様態に応じて操縦装置の応答性を変化させる事が出来る。 適正な設計がなされていれば、操縦様態の変更はスムーズでパイロットの意に添うものであり、その操作に何の障害ももたらさない。 報告によれば、新しいFly-by-wire機のほとんどすべてが、その開発過程においてAPCを経験している。APCは通常パイロットが精密に飛行機を操縦する必要のある、最も忙しい状態において発生している。しかもそれらはちょっとした出来事が、忙しい仕事やより正確な操縦を阻害した際に起こっている。 ある特有な出来事は、パイロットと機体との力学的な関連を変化させる。 これらの中にはパイロットの操舵力の変化や、操縦装置の切り替え、ちょっとした機械的故障、それに大気の激しい擾乱などが含まれる。