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乗員組合に対する会社の労務政策の歴史乗員組合に対する会社の労務政策の歴史

小説「沈まぬ太陽」のモデルとなった日航労組元委員長 小倉寛太郎氏は9年7ヶ月もの長期にわたり、海外の辺地をたらい回しにされました。(“実録”沈まぬ太陽アフリカ編へ)
更に悲惨なのは、乗員組合の役員4名が正当に行われたストライキを違法とされ、これを理由に解雇されたことでしょう。この不当解雇を撤回させるまでに8年2ヶ月の歳月を費やしました。(解雇撤回までの経緯はこちら)
小説の背景となった時代を中心に、日本航空の経営がとってきた労務対策の数々を年表でご覧ください。

 
1951年 日本航空創立
1960~1961年  
日航労組委員長に小倉氏就任

 初めてのジェット機DC-8がサンフランシスコ線に就航、日本人により運航が始められた。会社は外国人乗員をジェット機に乗せないと公約し、国際水準、IASCO(乗員の派遣会社)並にという乗務手当の要求を突っぱねる。組合との約束もあり、比較的賃金も安かったレシプロ機へ外国人乗員を振り向けた。さらに、移行後の穴埋めに外国人乗員追加導入。
 

1962年  
日航労組委員長に小倉氏再任

・会社はミリオンダラー作戦と称し、年々増大する運航直接費、整備費、乗員訓練等の節約に関して「合理化」の諸対策を立てる。

1963年   ・乗員不足に困った会社は61年の公約を破り、DC-8に外国人を乗せると通告。組合は機長4人、航空機関士4人に限り認め、争議時には外国人クルーを使用しないという覚書を会社と取り交わす。
 
 12月

  ・DC-8が沖縄上空で訓練中、エンジン2基の脱落事故。
 
1964 年   小倉元日航労組委員長、カラチ支店へ転勤。
 
9月

 
・会社は覚書に違反し、外国人6人をコンベアに乗務させると通告。訓練は既に始められていた。
会社発言「組合員のプロモーションのことを考えて善意でやった」「セーフティキャプテン(教官機長)だから機長でもクルーでもない」「争議時に外国人クルーを使用しないとあるのは協定書の印刷ミスである」

・乗員編成権は会社にあるとし、労使間の解決を見ないまま、カイロ-カラチ間に乗務する航空士を降ろすことを強行した。降ろした航空士をオリンピックによる太平洋線の大増便に当てたかった。

・協定違反や労使慣行無視が相次ぐ。
 

11月

 
・会社、一時金の業績リンク制を提案。

・組合、外国人導入、航空士問題に関し、指名ストライキを決行。
 

12月

 
・賃上げ、年末手当に関して、指名ストライキを決行。

・会社は12月の組合のストに対抗し、違法ロックアウトを行う。
 

1965年

  ・会社は、違法ロックアウトを再び行ったり、社長を始め管理職がいろいろな言葉を使って、不当労働行為を承知で組合の切り崩しを図る。
2月   ・CV880が壱岐空港で離着陸訓練中、炎上事故。

5月   ・前年11月と12月のストを違法とし、組合役員4人を解雇。(その後の裁判等で、違法はなかったことが明らかにされた。関連ページへのリンク)

・機長懇談会、乗員組合から脱退。

7月   ・日航労組が分裂攻撃を受け分裂、日本航空民主労働組合(民労)の結成。
 
12月  
・日整労組が分裂し、日本航空新労働組合(新労)結成。(民労と新労が合併し、68年に全労ができる。旧日整労組は日航労組と合併)また、客乗組合が分裂独立。これらの新しい組合は生産性向上に積極的に協力する方針を立てる。

・DC-8エンジン火災でオークランド空港へ緊急着陸。
 

1966年

   
5月

  ・会社は被解雇者を次期執行委員に選出しないようにという管理職による干渉を行う。また、争議行為として行っているリボン着用に対し、管理職や機長を使い不当干渉を行う。
 
6月

  ・共産党との関連云々の噂を流すなどして、組合に対する攻撃を更に強める。そしてついに月末に乗員組合、分裂。最終的に第一組合である乗員組合員は被解雇者を含め8名となった。
 
7月  
・運航乗員組合が発足。

11月   ・運乗組合、民労、新労、客乗は業績リンク制による年末一時金に調印。

1967年

 
 2月に67~72年度の六ヶ年計画が、7月には六ヶ年計画を踏襲した68~74年度長期計画が策定される。これらの計画の前提として、日本出入国旅客数が、7年間に約3倍になると想定し、69年度までは比較的安定した成長を見込むものの、その後、ジャンボ導入やパシフィックケース(PA,NW以外の太平洋線参入)等による供給過剰、競争激化から、相当困難な時期に

なると予想(危機宣伝)。そのための「力の準備」として、後に「伸び過ぎた翼」と批判される、急激な事業規模拡大(6年間で2倍にする機材計画)と、それを支える「合理化」を押し進めていく。
 
5月   ・「合理化」策の一環であるとも言える、職種統合(航空機関士→副操縦士、航空士→航空機関士→副操縦士)と、セカンドオフィサー制度導入を決定。それと同時にSCNと呼ばれるドプラーレーダーを使った自蔵航法を進める。(ドプラーレーダーの精度が悪く、ロランを併用しないと飛べなかった。)

・外国人導入により、飛行機の稼働が上がり、昼間に整備する時間が大幅に減ったため、夜間整備専門の課を設ける。またこの年からエンジンのオーバーホールの間隔を無節操に延ばしていく。

8月  
・全社でZD運動を始める。これは作業者の自覚によって無欠陥の作業を行うことを目指したもので、たとえば整備の現場では、飛行機が1分遅れたらレポートを提出しなければならないようなものだった。
12月  
・会社、運乗組合と「事業計画との関連における乗員計画の合理的推進」「運航業務全般の効率化の推進」を協力する確認書(「合理化」協力確認書)を締結。

 組合を分裂させた会社が、着々と「合理化」を進めていく中で、運乗組合内でも種々の問題について、「与えるばかりで何も得ていないのではないか」という疑問と不満の声が、乗員組合の速報から情報を得た組合員の中で、大きくなりつつあった。

1968年   ・会社はひたすら事業規模を拡大し大きな収益を上げていく。乗員不足は更に進み大量の外国人乗員を導入。

4月  
・乗員組合員に対し、機長昇格差別(詳細はこちら)。

・運乗組合、長期賃金協定(3年に一度の交渉のため、業績リンク、労働協約とともに、組合活動を弱体化させる三本柱の一つだった)を締結。

9月   ・運乗組合は労使協議制(システムは現在の経営協議会と同じようなものだが内容は、会社の方針を説明して了承させるという性格のもので、団交を制限し、労使対等でなくす効果があった)に調印。
 
11月  
・サンフランシスコ沖不時着事故。事故原因は、新型機の新しい装置の訓練がわずか1時間半で、クルーが操作に慣れていなかったこと、日本人の機長と外国人の副操縦士間のコミュニケーションの問題とされている。

 幸い死亡事故にはならなかったものの、「合理化」の歪みによる事故がついに起こってしまった。日航は世界で一番安全な航空会社と言われていたが、4月の段階で、過去15年間の全損事故発生率が世界平均の2倍になっており、旅客死亡事故がないと言うだけで、決して安全な会社とは言えない状態だった。
 

1969年
 

  ・整備の現場に、サンプリング方式導入。運乗組合にはポーラー線の2ランディングを提案。(組合は拒否)

1月

 
・労働協約(ユニオンショップ制を含む)についての三労組会議開催。

 労働協約とは、労働条件以外の労使間の基本的な取り決め。組合活動に関する事項、ショップ制、人事に関する事項、争議に関する事項(争議予告についてなど)を含む。会社の提示したものは、

ストを制限し、その他については労組法などの法律並かそれ以下という、組合にとって不利なものだった。
ユニオンショップ制とは、組合を除名された者を会社は解雇しなければならない制度。元々組合の団結を保護するためのものだが、組合の不満封じのため、当時会社の提示したものは、原則として解雇(尻抜けユニオン)とし、実質的に解雇は会社の権限に属する。会社は御用組合を使って会社に都合の悪い社員の処分もできる。
 
7月

  ・運乗組合、ユニオンショップ制についての全員投票を行う。規定投票数に達せず、2回不成立になり、3回目の投票(10月)でユニオンショップ条項が否決される。

1月

  ・ユニオンショップ導入に失敗した会社はこれをはずした労働協約を提案。運乗組合で行った、この会社提案についての一般投票に不正が発見される。ニセの投票用紙が200票余り(すべて賛成)混ざっており、不正票を除くと有効票が規定投票に達せず、投票は無効となる。
7月

 
・B747就航。ここにも「合理化」が持ち込まれ、以降訓練でシミュレーターによる緊急降下、油圧故障などの訓練を行わないという簡略化されたものだった。

・ユニオンショップ、労働協約締結失敗で焦ったのか、会社は執行部が交替する直前に機長管理職制度導入を強行。

12月

 
・運乗組合初の全員組合大会(それまでは代議員大会が最高議決機関)が行われ、「従来のような、組合本来の任務を果たせない労使協調ではなく、労使対等という原点から出発・・・」という運動方針を可決。
 

1971年
5月 ・運乗組合、乗員組合の解雇問題につき、見解を表明。「全ての問題を、機長を含め、全乗員の問題としてとらえるものであり、その方針からも、関係各位におかれましては、従来の経緯をはなれ、早急に円満な解決をはかるため、真剣な努力をされるよう要望いたします。」
 
6月
・運乗組合は、長期業績リンク協定における自動延長はしないことを決定。

10月 ・整備士死亡事故。原因は時間に追われ安全措置をとらなかったため。
11月 ・乗員組合は年末要求に初めて安全要求を加える。

・運乗組合は単年度で一時金を要求(ここ数年、創業以来の好業績を上げたが、長期賃金協定、業績リンク導入後、それまで航空三社中一番だった賃金、乗務手当、一時金が最低になった)、会社はこれに対し、団交を途中退席したり、回答の引き延ばしを行う。そして単年度で回答している日航労組と乗員組合に対しては、露骨な差別回答をすることにより、運乗組合を更に揺さぶる。結局運乗組合は長期協定業績リンク制で妥結。

 
1972年
3月

・会社の不当労働行為が国会でも取り上げられ、労働大臣が会社に注意。「幸いにして今日まで日航には、たいした事故はないが、今その話を聞いてみると、不思議に思われるくらい、内部にいろいろな事件が起きている。しかし、航空産業は、まさに安全第一以外にない。このような労使関係が大きな事故につながることがあったら大変だ。・・・」

4月

・運乗組合、初の安全要求、乗員組合解雇撤回要求を決定。また、賃金要求に関してはスト権投票を行うことを決定。
運乗組合執行部の解雇撤回要求に対する見解:「この問題を長引かせているのは、同じ職場の乗員組合より分裂した組合(運乗組合)が、口をつぐんで、これまで十分な行動をとっていないことが原因であるとしなければならない。更に考えれば、分裂そのものが、口をつぐんでじっとしていることをねらったものだったからではないでしょうか。」

5月

・管理職乗員(機長)2名が、仙台訓練所でスト権投票に対する介入行為を行う。また会社労務が発行するILBだよりを使ったり、委員長に対する個人攻撃などあらゆる手を使って介入を行う。これに対し労働省の課長が勤労部長に、不当労働行為をしないように注意。

・羽田空港において離陸時、滑走路逸脱事故。

・運乗組合は介入に負けず、初のスト権を確立(長期賃金協定を拒否し、単年度で要求することに決定)
 

6月
・会社は乗務手当に関する運乗組合との団交を拒否、延期。

・ニューデリーでの墜落事故。
 

9月
・ソウルでの滑走路逸脱事故。

・ボンベイ誤着陸事故。

 会社の安全運航強化対策:「人格面での教育、審査をより厳格に行う」「規定

11月 ・モスクワでの墜落事故。

1973年
    7月 乗員組合員4名の解雇撤回。
 
 10月 小倉元日航労組委員長、海外勤務より帰国。
 
11月

・運乗組合、乗員組合へ再統一。
 
1975年 ・アンカレジでのB747の誘導路からのスリップ事故。
 
1977年
・アンカレジでの貨物機墜落事故。

・クアラルンプールでの墜落事故。
 

1982年 ・羽田沖墜落事故。
 
1985年
8月

・123便事故。
 
9月

小倉氏2度目のナイロビ勤務。
 
12月

・伊藤副会長、山地社長、利光副社長の新体制発足。
 
1986年
1月 ・伊藤副会長、新聞の対談において「まず経営側がかつての分裂労務政策を反省するなど、やるべきことをやらなくてはならない。安全も含めて経営問題の答えは現場にある」と発言。
 
  2月 ・会社は組合に対して副操縦士地上業務の中止を回答。
 
6月
・機長組合発足。

小倉氏、会長室部長に就任。
 

10月

・橋本運輸大臣は伊藤会長に対し、「話し合い」の名目のもとで労使問題に介入。全労幹部との関係が取りざたされていた三塚元運輸大臣も、週刊誌の記者に対し「全労組合のためにやっている」と答える等、全労と政治家の癒着体質も明らかになる。
 
1987年
2月 ・先任航空機関士組合結成。
 
3月 ・伊藤会長辞任。
 
4月 ・日航開発、HSST、ドル先物買い等、不正経理や経営疑惑が明るみに出る。
 
7月 小倉氏、3回目のナイロビ勤務 。
 
この後日本航空経営は、乗員組合と結んだ勤務協定、
送迎協定等を一方的に破棄し、
東京地裁に提訴されました。

この裁判は会社が敗訴し、東京高裁に控訴しています。

123便事故の再調査を求める2123便事故の再調査を求める2

強い風の吹き抜け、激しい騒音、乗員は減圧を直ちに認識、航空性中耳炎・低酸素症の症状、凍えるような寒さ =これが本当の急減圧だ!= 123便事故の再調査を求める?A これまでに起きた、急減圧を伴った大型機の事故の特徴を見てみましょう。 (下線は、123便事故との比較においてポイントとなる項目) 【72年6月12日 アメリカン航空DC-10型機】 11,750ftを上昇中、後部貨物室のドアが開き、急減圧が発生。高度は低かったが、爆発音と霧が発生し、機内を風が吹きぬけた。 【75年1月15日 ナショナル航空DC-10型機】 39,000ftを飛行中、No.3エンジンが分解し、その破片が客室の窓を破壊した。1名の乗客が窓から吸い出され、行方不明となった。減圧発生から約10秒以内に、操縦室の酸素マスクから酸素が流出し、その音がCVRに記録されている。これは減圧を示す一つの証拠として注目された。 【86年10月26日 タイ国際航空A300-600型機】 33,000ftで土佐湾上空を飛行中、機内で手投げ弾が爆発し、後部圧力隔壁を破壊、急減圧発生。9秒間で5,600ftから20,000ftまで減圧、減圧率は96,000ft/minであった。機内では、操縦士は直ぐに急減圧の発生を認識し、緊急降下を試みている。与圧空気は機内を強い風となって通り抜け、最後部洗面所の化粧台を倒壊させ、圧力隔壁後方へ抜けた。搭乗者247名中89名が航空性中耳炎になった。 【89年2月24日 ユナイテッド航空 B747-122型機】 ホノルル離陸後、22,000~23,000ftを上昇中、異常音とともに爆発的な急減圧が発生。運航乗務員らは直ちに酸素マスクを着用したが、酸素は出てこなかった。直ちに緊急降下を実施し、ホノルルに引き返した。原因は前方貨物ドアが吹き飛び、約14?uの穴が開き、それと同時に機内の酸素供給システムが破壊された。 客室内では、減圧とともに強い風が客室内を吹き抜け、客室乗務員らは物に掴まって吹き飛ばされるのを防いだ。風が収まった後も機内の騒音が激しく、乗客への着水準備の指示に困難をきたした。PAは騒音のために全く役に立たなかった。減圧に伴って気温が急激に低下し、凍えるように寒く感じた。客室の酸素マスクは作動しなかったため、客室乗務員らは携帯用酸素ボトルを使用したが、その数が十分でなく、一部の乗員は、酸素不足によるめまいを経験している。 【90年12月11日 エア・カナダ L1011型機】 マンチェスター上空で37,000ftを飛行中、後部隔壁が破損し、急減圧が発生した。乗員らは直ちに酸素マスクを着用し、緊急降下を開始するとともに、急減圧に関するチェックリストを行っている。 客室後部にいた客室乗務員は、鈍い「どーん」という音と同時に、左後部のトイレ付近から空気が流れる音を聞いている。30~40秒後に乗客用マスクが落下した。FDRの記録では、客室内の気圧は6,300ftから20,500ftまで減圧し、緊急降下によって再び気圧は上昇し、10,000ftになっている。 結果的に、20,000ft以上に56秒間、18,000ft以上に2分20秒間あったことが記録されていた。この減圧で、3名の乗客が激しい頭痛と耳痛を訴え、数人がめまいを訴えた。 後部トイレのパネルが後部圧力隔壁に押し付けられ、パネルの縁が裂けていた。グラスファイバーの断熱材が尾翼の点検孔から垂れ下がっているのが見られ、後部圧力隔壁の後方の胴体内部にも多量の断熱材が見られた。圧力隔壁は、その外周の8~9時の位置の三角パネルの外周部に2ftと1ft程度の長方形の部分が後方にめくれていた。 (機長組合ニュース 15-18)

勤務問題もくじ勤務問題もくじ

利用者・国民の皆様へー日本航空運航乗務員の勤務問題について勤務裁判判決確定!日本航空は判決に従うことなく ・東京⇔香港日帰り往復乗務<2回着陸で乗務時間8時間30分を超える路線>・アメリカ西海岸線(東京⇒ラスベガス)などで交替乗員を乗せず運航<乗務時間9時間を超える路線> という勤務を実施しています。 1993年11月1日、日本航空は運航乗務員の勤務協定を破棄し、全ての運航乗務員が反対する中で、世界の航空会社の中でも最悪の勤務基準に変更、一方的に強行しました。しかし、この基準には安全上の問題が多く、日本航空乗員組合は東京地方裁判所に訴えを起こし、裁判では第2陣も含めて、東京地裁・高裁で3つの組合全面勝利判決が出されていました。そして05年4月20日、日本航空が控訴および最高裁への上告受理申し立てを取り下げたため、この組合全面勝利の判決が確定しました。確定判決の主文は、 ・シングル編成(交替乗員がいない編成)の1回着陸において、乗務時間9時間、勤務時間13時間を超える勤務に就労の義務はない。・シングル編成の2回着陸において、乗務時間8時間30分、勤務時間13時間を超える勤務に就労の義務はない。 など、世界でも類を見ない劣悪な日本航空の運航乗務員の勤務基準が、裁判所で問題ありと判断されたものでした。 裁判で敗訴した日本航空は、判決を反映した内容で組合と暫定的に協定を結び、新たな協定締結に向けて話し合いを始めました。しかし、暫定協定が期限切れとなる今年11月1日から、日本航空の機長・副操縦士・航空機関士ら運航乗務員の強い反対の声を無視し、再び香港往復など判決に従えば実施できないはずの勤務を一方的に強行しています。日本航空は今年3月に「事業改善命令」を受け、表向きには“安全対策”として、現場と経営との距離感を見直し、コンプライアンス(順法精神)を掲げました。しかし実態は、安全運航のために現場からあがっている声も、さらには判決さえも平然と無視し続けています。日本航空で働く私たちは、利用者・国民の皆様の立場に立ち、このような事実を世間に広め、安全軽視の日本航空の経営姿勢を改めさせるとともに、安全最優先の日本航空にする取り組みを行っています。日本航空インターナショナルの三乗組(日本航空乗員組合・機長組合・先任航空機関士組合)は、2005.11.27方針に基づき取り組みを行っています。皆様のご理解・ご支援をお願い致します。  勤務裁判判決確定!  歴史的大勝利!組合の全面勝訴が確定!!4月20日、会社は勤務裁判を取り下ろしました。これにより11年間に渡る勤務裁判は組合側の全面勝利で幕が降りました。現在、三乗組では、少なくとも判決を反映し、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結するために取り組みを開始しています。経営と労務に最後の決断を迫る交渉を行う。 ・経営に真摯な対応を行わせるために、我々の主張を利用者・国民・マスコミに広げ、判決を背景に毅然とした行動をとる体制を構築する。 皆様のご理解・ご支援をお願い致します。日本航空乗員勤務基準裁判 組合全面勝訴判決確定にあたって 三乗組 声明経営に確定判決を守らせ、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結する取り組み 6.30三乗組勤務問題方針6月28日、暫定勤務協定を締結(労使調印)しました!「暫定協定は締結」-労使の合意が成立、マンニング精査の交渉に入っています6.14三乗組合同大会で、以下の方針が確認されました!6月17日三乗組社長交渉報告05年5月30日付勤務に関する会社文書の分析(三乗組)判決を反映し、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結するための取組み その1勤務に関わる三乗組方針(4月25・26・27日三乗組合同執行委員会  ✈2003.12.11乗員組合勤務裁判第一陣高裁判決 (第一報)組合側 全面勝訴! PDF乗員組合 声明文 PDF乗員組合勤務裁判 高裁でも全面勝訴(三乗組NEWS) PDF✈2003.12.25経営最高裁へ上告受理申請 乗員組合 上告後声明文 PDF✈2004.3.19乗員組合勤務裁判第二陣地裁判決 (第一報)組合全面勝利判決 PDF乗員組合 声明文 PDF3.19地裁第2陣裁判判決要旨 PDF✈長大路線のシングル編成運航について サブインデックス

ワイヤーカット事件、経営に申し入れワイヤーカット事件、経営に申し入れ

機長組合NEWS 18ー193 ~ 新たに発覚したWire Cutに関し、経営に申し入れ(2月9日)2004.2.24 新たに発覚したWire Cutに関し、経営に申し入れ(2月9日) 「職場の荒廃」に正面から向き合い、経営施策を改めるべき 4度目になる電線切断等について「原因究明と再発防止」の徹底と、整備本部の施策の抜本的見直しを 2000年8月、B747-400型機(JA8913及びJA8075)の電気配線切断事件が相次ぎ、社長、運航本部長、整備本部長、羽田整備事業部は、それぞれ文書を出されました。機長組合は、当時の経営に対して「被害者的に受け止めるのみで、乗客・乗員を危険に陥れる加害者との認識が薄い。この感覚は、社会問題となった乳業会社の経営者に相通じ、現場から遊離した経営感覚」と指摘しました。   その後も専門的知識と能力を備えたものが、故意に起こしたと思われる機材損傷事件が後をたたず、2003年3月にはB747型機(JA8180)に隠蔽工作と思われる不正な措置が発見されました。しかし、どの事件も「原因の究明」が曖昧にされ、知らぬ間にこのような機材での運航をさせられた機長をはじめとする運航乗務員には「調査中」あるいは、「原因不明」との説明に終始しています。  このような状況が続く中、最近B767型機(JA8234)の前方貨物室ドアに取り付けられているアース線の一本が、「人為的に切断されていた」ことが発見されました。 機長組合は、整備本部をはじめとする経営が、同種事件が後をたたない原因を真剣に分析し、対策を立てているとは到底考えることができません。むしろ、職場の荒廃が93年から強行している様々な「合理化施策」「リストラ施策」が起因となっていないのか、すなわち経営施策が誤っていなかったのかどうか、という視点で事象をとらえようとしない経営の姿勢が明らかになるばかりです。  公共交通機関として、犯罪により傷つけられていない「普通の機材」での運航を社会に提供するためにも、そして乗員が安心して運航に専念できるためにも、最高経営会議方針に掲げる「絶対安全の確立」の精神にたち、「現場整備士の日本航空本体での採用」を行うなど、整備本部の体制の抜本的な見直しを早急に行うよう申し入れます。  また、本件についてJALS CEOならびに日本航空社長との緊急の面会を申し入れます。 社内では「賃金カットなど労働環境悪化に伴う社員のモラル低下が一因」(幹部)との見方もある・・・ 毎日新聞に取り上げられた日本航空の度重なるWire Cut事件 <日航機>配線の一部が切断 内部の犯行か 日本航空(JAL)は9日、同社のボーイング(B)767旅客機の配線の一部が先月22日に切断されて見つかったことを明らかにした。羽田空港で定期整備中、内部関係者が故意に切断した可能性が高く、同社は警視庁東京空港署に被害届を出した。報告を受けた国土交通省は「管理に問題がある」と、同社に口頭で改善を指導した。この配線が切断されたままでも飛行に支障はないというが、同社では00年以降、同様の事件が多発しており、安全管理体制が問われそうだ。  JALなどによると、切断されていたのは、B767旅客機の貨物室ドアと機体をつなぐ配線。この配線は静電気の発生と漏電を防ぐためのもので、家電製品の「アース」に似た仕組み。「飛行前に発見したため、切断されたまま飛行していた可能性はない」(JAL)という。  これまでの警視庁などの調べでは、JALでは00年7~8月にも、B747旅客機2機で、配線が切断されていたのをはじめ、03年3月には、B747貨物機で整備記録には記載されていない修理跡が見つかったが、修理の理由や具体的な修理内容は未解明のままになっている。このほか、同社の関係者によると、02年2月には、計12機で化粧室の壁に穴が開けられた。同社は今回の配線切断についても公表せず、「整備場にカメラを設置するなど再発防止を図っている」と説明している。  相次ぐトラブルについて、同社内では「賃金カットなど労働環境悪化に伴う社員のモラル低下が一因」(幹部)との見方もある。 (2月10日毎日新聞)