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■安全会議の結成
~世界でも例のないユニークな組織の実現へ~

 2月17日の座談会の緒論を実現させるために、3月10日に日航労組、日航乗組、日整労組、全日空労組、AGS労組、全運輸の6労組が集まって、「航空安全推進連格会議」の絵成を決議し、この6労組が呼び掛け団体になって3月19日、結成集会が今は解体されて姿を消した羽田空港ターミナル6階のホールで行われました.ここに安全会議の活動がスタートを切った訳です。
 初代の議長は日航乗組の小嵜さん、副議長は全目空労組の千々松さん、事務局長は全運輸の白石さん、事務局次長は日航乗組の藤田さんでした。当日は12組合から76名もの代表者が参加し、来賓挨拶を国会議員や全交運からいただき、テレビ、新聞など報道関係者も多数集まりました。加盟組合15労組8,000名の組織でした。
 翌1967年(S42)から春の安全集会が、職場の相互理解という方針に基づき開始されました。3月6日、品川公会堂において『航空安全のタベ』という第1回の集会が開かれましたが、この集会に先立ち、2月4日から1カ月間、航空安全月間として研究学習会や業務別交流会などを開き、安全確保に取り組みました。
 安全会議結成の前後に起こった全日空の東京湾B727事故でも、その年の11月に発生した松山沖YSll事故でも、事故技術調査団は「事故の原因は不明」としながらも、パイロットミスの可能性があるかのごとき発表をしました。その頃の事故の原因究明は航空局技術部航務課(現運航課)を中心に運輸省内部で行っていましたが、羽田沖事故の場合は日本で初めてのジェット機の事故であり、当時として世界最大の事故であったため、政府は民間の専門家を募り、運輸省スタッフと併せて「全日空羽田沖事故技術調査団」を急遽組織しています。ところが、調査団長の日大教授の木村秀政氏はB727の国内線導入に際して機種選定委員として積極的にこの機材を推薦した人であり、事故後も「極めて優れた飛行機」と発言している人物で、しかも、木村氏は関連メーカーやB727のユーザーである日本航空の現役役員を団員として調査団に引き入れることもしています。
 この事故で、事故調査団の一員でありながら、団長の木村氏の非科学的な調査方法に反対して、委員を辞職した東大教授の山名氏を、安全会議が招き、事故に関する詳細な解説と事故調査の手法や基礎的な事柄について学習会を開きました。また、利害関係者の排除と技術調査の徹底を柱に公開質問状を発表するなど、当時の振時事故調査団に対して「被告席に座るべき人が、裁判席に座った調査団」との世論を作り上げました。
 結成の年の11月13日には、全目空のYSllが着陸復行中に松山空港沖に墜落し、50名全員が死亡という事故が発生しました。この事故では2日後にYS事故を捜索に行った全日空ベル47Dが大阪府警のヘリと空中接触し墜落するというこ次災害も起こしています。当時の新聞では全目空の事故を起こす背景が取り上げられました。全日空羽田沖事故の国の調査活動に不審・不満をもっていた安全会議は、この事故に対して、航空労働者による事故調査を初めて試み、故境栄八郎さんと藤田さんが松山へ赴き、調査をしました。この時にYSllの構造について徹底的に研究、勉強したことが、後の中標津事故の調査活動に役立つ事になります。

 この安全会議の絵成がどういった意味を持ったのかと考えてみますと、一つは航空の安全も労勧組合の活動分野、活動笥域であることを確定したということ.二つ目は組織攻撃と連続事故発生という困難な状況の中で、それを跳ね返し、より一層大きな組撲を作り上げ、それまでの航空労勧者の運動を質的に引き上げたという、このこつの意味があったと思います。
 この安全会議は世界的に見ても非常にユニークな団体です.-つには航空に関わる全ての職種を組織していること.管制官もパイロットもスチュワーデスも整備士もグランドハンドリングも運航管理者も気象予報官も皆、安全という目的で集まり運動している組織は世界をみてもありません。
実際1977年に行われた国際運輸関係労組シンポジウムでは来日した米国の代表者がこの安全会議の組織を大きく評価し、感激して帰っていったということです。二つには、労勧災害、或いは労勧安全については諸外国でも組合が取り組んでいますが、航空の安全そのものを労勧組合の活動領域にしているのは世界でも初めての団体であり、今やっと少しずつ活動の中にこの観点を持ちはじめている団体が、世界の中で出てきているという状態です。

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国際定期航空操縦士協会連合会(IFALPA国際定期航空操縦士協会連合会(IFALPA

IFALPAの目的と設立過程 IFALPA(International Federation of Air Line Pilots’ Associations..国際定期航空操縦士協会連合会)の標榜する基本的な目的は、航空輸送の安全かつ秩序ある発展とエアラインパイロットに共通する利益の保護である。 第2次世界大戦が鎮まるとともに再開された国際民間航空の発展は、目覚ましかったが同時に、個々のパイロット協会では対処しきれない技術的問題や、運航に係わる国際的な問題が、多数生じることとなり、航空輸送事業の安全かつ秩序ある発展をはかる上で、パイロットによる国際的機関の設立が望まれるようになった。その機運のもとに、1948年4月、British Airline Pilots’ Associationが主催して、13のパイロット協会がロンドンに集まり、協議した上で、IFALPA組織が結成された。1955年からロンドン市内に本部を置いたが、1977年には、ロンドン郊外Eghamの地に本部を移し、”Interpilot House”と呼ばれ現在に至っている。 ALPAーJapanは、1961年日本を代表するパイロット協会として、加盟を承認された。 1986年12月現在、65ヶ国、65協会、約60、000人のパイロットで構成されている。 本部:INTERPILOT HOUSE   116 High Street   Egham, Surrey   TW20 9HQ,   England抜粋 ALPA BRIEFING SERIESALPA-J HAND BOOKNov.1987より Acrobat Reader download logo PDFデータを閲覧する為には、 Adobe 社の

NASAの疲労研究で判明NASAの疲労研究で判明

労働基準法上の管理職であるためには、出退勤管理が厳格にされていないことが条件です。出動時間、退勤時間というものを本人の自由意思にまかせているというところに意味があります。そういう基準法上の管理職つまり、休日とか労働時間とか休懲時間の適用を除外するという意味での管理職であるためには、出退勤時間が本人の自由にまかせられているか否かというところが非常に大きな問題なんです。 これはかつて金融機関で随分問題になりました。 金融梯閑も日航と同じように管理聴の多い業種ですが、銀行の人が回ってきて名刺を見ますと、支店長席付〇〇××と書いてあります。 支店長錆付とはどういう人かと思うと、大体入ったばかりの人は支店長席付で管理職でも何でもない。というものに始まって、ともかく名刺にいろんな肩書を付けているのが銀行です。 これは信用を重んずる所ですから、何の肩書もない名刺を持って行ったって誰も相手にしてくれないですから、色々な肩書を付けるわけです。 課長とか係長というのはよく知られた職名ですが、課長代理、課長補佐、係長代理、係長補佐とかいろいろあります。 それもみんな管理職だというふうに銀行では位置づけて管理聴手当を払うわけです。 もちろん支店長席付などというのは違いますよ。管理職手当を払うことによって残業代を浮かすわけです。正規の残業代だと月間5万も6万も払わなければなりませんが、管理職だったら、たとえば3万ぐらいの係長手当を払っておしまいにしてしまう。 管理職手当を払うことによって残業手当の支払いをそこで節約する、こういう手法がずっと金融業界では行われてきまして、昭和50年代の初めに銀行の組合がそのことを問題にして労働基準局に訴えたことがあるんです。 それを実検に労働省でも銀行の管理職の範囲に関する通達を52年に出しております。  その通達の中で、「一般的な基準は出退勤管理を自分できちんと出来るか、管理職というためには自ら勤務時間を、たとえば今日はお客さんの接待で遅くなったから、翌日の出動時間は8時であるところを11時に行く、それでも誰も文句を言わないぐらいに自分で時間の調整がきく人間がいわゆる管理職で、重役タイプ型の管理戦がそこでいう管理聴である。」こういうふうな扱いを一般的に示して、具体的に職名をあげて、たとえば都市銀行であれば本店の課長以上が管理聴、支店でいえば支店長は管理職だが支店長以外の者は管理聴ではない、そういう通達を出しています。 それだけ日本の場合は管理職がたくさんいたわけですが、銀行はその通達で大変な残業手当の支払いを必要とされたという記事が、昭和52年ごろの新開に載りました。実際に支払われたかどうかはまったく不明です。実際に金を払えと要求すると、それじゃうちの銀行にいたくないのかとやられて飛ばされるか出向されるかわかりませんが、居づらくなるということがあって実際に請求したかどうかはわかりません。 特に銀行とか証券というのは管理職に限らずサービス残業の多い業種です。大学生に就聴希望を開くと最近では銀行は嫌われています。大学生の間では銀行とか証券はセブンイレブンだという言い方をしています。 朝7時から夜11時まで勤務するということで、だからそういう所へは行きたがらないのがここ2、3年の傾向でしたが、ことしは不況でそうも言ってられないであちこち探しているようです。 ともかく銀行ではサービス残業が一般的な形で行われています。これは日本の企業の場合どこへ行ってもサービス残業はあります。その代表的なのが銀行で、その中でなおさら管理職に関しては厳しく、残業手当を払わないで安い管理聴手当で済ませてしまおうという労務管理が行われているところに問題があります。 それを銀行であまり問題にしなかったのは、将来、銀行の場合は40を過ぎればほかの業種に比べてずっと生活が楽になるということが期待されたからみんな黙っていたんです。 しかし、最近、銀行の従業員でも問題にし始めているのは、将来が必ずしも安定していないわけです。40過ぎて出向であちこち行かされちゃう、結果として賃金も十分手に入らない、下手をすればその銀行をやめて関連の企業に行かなくちゃいけないということになってくると、将来に希望が持てないということで、今問題になってきているわけです。 労基法上の管理職の問題というのは、そういう意味で労働基準法の、41条の2,号すなわち労働時間の適用排除になるかどうかというところのレベルで見るというのがつです。 ダウンロード後、インストール して下さい。こちらより無償でダウンロードできます。Copyright ©1996-2003 日本航空乗員組合 All rights reserved.