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電磁波干渉と航空機の運航電磁波干渉と航空機の運航

電磁波干渉と航空機の運航
(電磁波干渉ってなに?)

1.電磁波干渉(Electro Magnetic Interference)とは
 一般的な「電磁波干渉」というと、雷のような自然現象から、人間が製造した各種の電気電子機器が発生するノイズによって、他の電子機器に好ましくない障害が発生する事を指します。分かりやすい現象としては、雷による中波ラジオへの雑音、電気モーターによるTV受像の乱れなどの「意図しない電磁波」による障害や、違法無線によるFMラジオへの混信、電子制御装置の誤作動、などのような「意図的な電磁波」による障害があります。

 これらすべてを、我々が包括的に理解する必要もありませんので、ここでは、最近の航空機の運航に障害となるもののみに、的を絞って考察したいと思います。

2.意図された電磁波?意図しない電磁波?
 「意図された電磁波」とは直接的にはアマチュア無線機、携帯電話などがありますが、あまり知られていないものには、受信機(ラジオ)の内部で作られている「中間周波数」なるものもあります。これは「スーパーヘテロダイン」とか「局発」とか航空級無線通信士の試験でお目にかかった(事があるかもしれない??)理屈によるものですが、電子機器の設計段階から、わざわざ発生させているものですから、「意図的な電磁波」です。

 これらの「意図された電磁波」は、発生する側の電子機器も、航空機側もほぼ対策を施しているので、ここではとりあげません。

 「意図しない電磁波」がやっかいものです。これにもいくつかの種類があります。

 ひとつには、「意図された電磁波」が副次的に発生させる電磁波です。これは「高調波」とか「ふく射(スプリアス)」とかいわれるもので、例えば50MHzのアマ無線機から100,150MHzといった、目的外の周波数の電磁波が発射されたり、FMラジオの中間周波数(10.7MHz)の倍数の電磁波が漏れたりするものがあります。

このような「目的外の電磁波ふく射」はある程度予測可能です。

 他方では完全に「意図しない電磁波」として、大電流機器のON/OFFによるスパイクノイズや、話題のパソコン・CDプレイヤーなどの「マイクロエレクトロニクス機器」からの「電磁波」があり、これらが大きな問題となっています。

3.マイクロエレクトロニクス??
 すぐにも陳腐化しそうな言葉ですが、他に適当な分類が確立していませんので、こう表現されています。

 どんなものかというと、「小さくて、いろんな機能がついている、電気で作動するもの」と考えれば当たらずとも遠からず、と思ってください。パソコン、携帯電話、CDプレーヤー、電子ペット(ファービー)、ポケットゲーム機、、、、これらのものにはすべてマイクロエレクトロニクス≒「コンピューター」が組み込まれています。

 「コンピューター」が作動するためには必ず「クロック」と呼ばれる数MHz以上の方形波(デジタルと考えてもよいでしょう)と、信号のやりとりとしての方形波、の2種類のパルスが発生します。

理科の教科書には、正弦交流波により発生する「電界」がよく描かれますが、「電磁波」は電流が変動する時に発生するものですから、これらの方形波の立ち上がりと立ち下がり時にも「電磁波」が発生するわけです。

つまりマイクロエレクトロニクス機器には、クロックに関わる周期的な「電磁波」と、信号(情報)による不規則な「電磁波」が必ず付随しているわけです。

4.不要電磁波のふく射と受信
 参考で触れますが、航空機搭載機器からの不要電波のふく射については、論外というか対策済みのはずなのでここでは除外します。他には乗客による機内持ち込みの電子機器が問題となります。

 機内持ち込みで、「意図された電磁波」を発射する装置は当然アンテナを備えています。「意図しない電磁波」をふく射する装置には通常「アンテナ」はありませんが、電気の流れるところはすべて発射アンテナになり得ます。この場合の電磁波は非常に弱いもので、[参考]に掲げる航空機の設計上問題となるような、強い電界強度の何万分の一(あるいは10-6乗)程度の測定すら困難な強さです。しかしながら、そのような微弱なパワーしか持ち得ないCDプレーヤーでさえEMIを発生させているのが現実です。

参照:IATA報告事例

 では、これら不要電磁波を拾う機体側はどうでしょうか。後述するように、航空機は耐空性審査要領などによって、「外からの強い電波」には耐えられるように作られています。(機体が大きなシールド筐体ですから)しかしながら、その機体内部には、B747クラスでは数十km以上と言われるほど大量の電線が使用されており、基本的には、これらの全延長が受信アンテナとなりえます。但し、デジタル機器を結ぶARINC(エアリンク)と呼ばれる規格では、シールド線または、より安全性の高いツイステッドペア線(撚り線)を使用しています。教科書的に考えるならば、シールド線の真横にCDプレイヤーを持ってきても、何の障害も起こり得ない筈です。

 しかしながら、機体内部には様々な金属があります。これもアンテナ代用品になりえます。例えば、ある座席とその座席の固定レールがちょうどその電磁波の共鳴(共振)関係になり、さらに壁の中のリブが伝導にちょうどいい距離関係にあるかもしれません。また、曲がりくねり撚りあわされた配線、種々のコネクターによるシールド不全など、複合条件は検証しきれないほどあります。これが、同じ装置を同じように使っても、ある座席では発生したのに、その隣ではもう発生せず、コックピット内でさえ再現しない原因と思われます。

5.なぜ障害となるのか
 航空機においては、昔から知られている、雷や空電によるADF(中波自動方向探知機)の誤指示や、自らのHF(短波)送信時における油圧計の誤指示などがありますが、これらを仮に「アナログ系障害」としましょう。これらのアナログ系障害は、発生事象が割とダイナミック(はっきり分かる)で、因果関係も特定可能(再現性が高い)なケースが多いようです。

 ところが、最近話題の、コンピューターの関係する機器への障害の場合、まったく逆で、想像できないような現象が、再現性に乏しく発生しています。これを「デジタル系障害」と呼んでおきましょう。

 「アナログ系障害」は、予期されない電磁波が、本来の信号をオーバーライドしてしまったり、歪ませたりすることにより、誤作動を引き起こします。ところが、「デジタル系障害」は、「1」と「0」の組み合せである信号を書き換えてしまう事で、より重大な(あるいは極端な)誤作動となり得ます。

 航空機のデジタル信号は、+の電圧(+5から+15V程度)の時に「1」と解釈し、0または負の電圧(-5から-15V程度)の時に「0」と判断されます。この「1」と「0」の組み合せで、それぞれの電子機器のIDから、データまですべてを判断しますから、ひとつ順番が入れ替わっただけでも大変な事が起こり得ます。

 例えば、スラストレバーを動かして、N1を(ほぼアイドルの)33%にセットしようとした時、レバーを動かして、そのセンサーが「33」を出力するようにしたとします。センサーはオートスロットルコンピューターに対して「33」を意味する2進数「00100001」(仮に8ビットとします)を送るのですが、

0  0  1 0  0 0  0  1
となりますが、これに以下のようなノイズが
乗ってしまうと   0 1  1  0 0  0 0  1

これは10進法では「97」%です。

とするとエンジン制御コンピューター側では「97」%と受け取り、そのように大出力をセットするでしょう。(もちろん実際は、こんな単純な事は起こりません。概念の話です)

    参考:ARINC規格、エラーチェック

6.公的機関による規制
 航空機における規制としては、設計段階と運用段階があります。設計段階においては耐空性確保の為にいくつかのスペック(JIS,MIL,HIRFなど)があるようですが、電波暗室で航空機の機器を作動させて計測するなど、いずれもが「航空機自身に搭載の電子機器が、他の電子機器に影響を与えないか」の観点だけであり、「客室内に持ち込まれる電子機器がもたらす影響」については、何も触れられていません。

     参考:安全水準

 そこで、IATAが音頭をとって自主的に「使用させない。電源を切らせる。」措置を運用段階で行っている現状は皆さんご存じの通りです。

 日本においては、かの航空振興財団が97年より「調査」を開始している段階です。

 では、「持ち込まれる電子機器」への規制はどうかというと、国際的な元締めはIEC(国際電気標準会議)の下部機構であるCISPR(国際無線障害特別委員会)というところで検討されているようです。その検討結果に基づいて各国で様々な規格(規制)を行っています。米国にはFCC、日本ではVCCI(電波障害自主規制)などがありますが、おおざっぱに言って、「強い電磁ふく射を出さないように」設計しましょう、というものです。

    参考:規制の現状

 最近では複雑かつ、深刻な電磁波障害の現状をふまえて、いろんな電磁波と共存しよう、ということでEMC「Electro Magnetic Compatibility電気電磁的両立性」と呼ばれつつあるようです。

7.再現性に乏しいEMIとの闘い
 航空機におけるデジタル系障害が、なぜ再現性に乏しいかという明確な答えはまだありません。推測として「微弱な発生源」「デジタル信号に混じる為、同じ誤数値になりにくい」「発生したときと同じ状況を創りにくい」などが揚げられます。

 従って、我々乗員がとりうる最大限の措置は、発生した瞬間の機外機内の状況を記録する事ですが、かなりの制約を受けるでしょう。せめて、機内捜索を行い、使用されていた機器の特定、使用方法、使用場所を記録する必要があります。

 では防止策はどうでしょうか。「不要電磁波を受け付けない機体構造とする」「EMCの発想で共存性を確保する」「電磁波を持ち込ませない」の3点が考えられます。

測定限界以下の微弱な、しかも不連続突発的なパルス波をとらえることは、現時点では不可能です。となれば、機体内部のすべての配線をシールド付きのツイステッドペアにする方法が考えられますが、機体重量の増加と配線スペースを考えると設計からやり直す必要があります。

「共存する」方法としては、不要電磁波が紛れ込んだとしても一過性である特徴を利用する方法が考えられます。具体的にはデジタル機器のデータ処理を、ソフトウエア上で再確認させます。前述のスラストセッティングでいえば、「98%を送ったぞ」「本当に98%か」「確かに98%だ」というやりとりをコンピューター(機器)間で行わせるのです。これはハード的な改修は最小でしょう。但し、ソフトの改修として、処理時間の遅延が惹起されます。もっとも、人間である乗員の反応時間より長くなることはありえないでしょう。乗員の関知し得ない数ミリ秒のオーダーで機体状況を変える必要はないはずです。

「電磁波を持ち込ませない」方法はとりあえずの対応策です。しかし現在のところ不完全であることは、これまでの経験で分かっています。不完全である理由は、EMIが航空機に与える危険性と、ちゃちな電子おもちゃが、一般的には結びつかないからでしょう。事実、96年に日乗連(日本乗員組合連絡会議)が指摘するまで関係当局は、携帯電話は通話中のみ、電波を発射すると思っていましたし、普通の人はファービー人形にマイコンチップが入っているとは思わないからです。

従って追加策としては「機内ではすべての電子機器の使用禁止」「具体的にはすべての電池を(危険品同様)受託扱いとする」この措置を実効性あるものとするために「罰則の法制化」を働きかける、必要も出てくるでしょう。

この問題については、討論を経て、詰める必要があると思いますので、「継続」としたいと思います。

参考:

1.デジタルバス

 航空機のデジタル機器間は、デジタルバスで結ばれています。規格として、A300-600、B747-400まではARINC429でしたが、B777からはより高速のARINC629が採用されています。どちらにも共通しているのは、シリアル転送、アドレスとデータを組み合わせたWORD構成。それぞれの特徴は以下の通り。

100kbpsとはパソコン通信でいうならば、12.5k。
ISDNは64kなので512kbps。

 具体的なWORD構成は概略以下の通り

「相手先アドレス:発信元アドレス:データ:パリティ:NULL」

2.エラーチェック

1WORDのデータを送ったときと、受けたときでの同一性を確保するために、WORDの中に確認するための情報を盛り込む方法(PROTOCOL)

 例えば「00110001」を送るならば、BITの合計は奇数になるので、データの後に奇数を意味するパリティBIT「1」を付加して「001100011」とする。データにノイズが混じり「000100011」と受け取ればパリティBITは「0」でなければならないので、このデータを「エラー」と認識する手法。

 もう少し上位の方法では、データのBIT数の合計を付加して、再現性をもたせたものもある。

3.公式報告事例

国際

  91.5 MD80 着陸 自動着陸を実施中、早すぎる着陸姿勢となり、滑走路の右半分に、大きい降下率で接地。客室内で携帯電話の使用があった。

  92.6 MD11 巡航 航法コンピューターが誤作動し、パイロットの意思に反し、降下、異常な増速を行った。コンピューターを解除できなかった。乗客使用のDATプレイヤーのスイッチをOFFにしたところ、不具合は解消された。

  93.2 DC10 着陸 最終進入体制で、自動操縦装置が機体を大きく左に傾け、危険な状態に陥った。CDプレイヤーの影響が疑われている。

  94.9 B747-400 巡航 自動操縦装置が大きく高度を振幅させ、制御不能になった。乗客使用のワープロのスイッチをOFFにしたところ、不具合は解消した。

 以後調査中

国内

  96.8 A300-600 地上停留 デジタルカメラを使用したところ、油圧装置の不作動を示す警報が表示された。

  96.9 A320 巡航 2個のエンジンに火災が発生した、との警報が表示された。その後の飛行は支障無く、原因不明。乗客使用電子機器の影響が疑われている。

  97.1 B767 巡航 超短波航法用位置表示(VOR)が誤作動。乗客の荷物内にあった携帯電話のスイッチをOFFにしたところ不具合解消。

   99.2     __ 巡航 2~3秒間対気速度計のVmin表示が上昇し、巡航速度M.82を超過。

乗客がパソコン使用。

   99.2                         巡航 VHF通信に雑音。携帯電話のスイッチをOFFにしたところ解消。

   99.3        上昇中 離陸直後オートスロットルを所望のモードに入れられず。更に29000ftにLevel offした際に、オートパイロット、FMCの異常表示。電子機器の使用を控えるよう機内放送を行ったところ、すべて正常に。ゲーム機2台の使用確認。デジカメも使用の模様。

   99.9    上昇中_機体重量表示が最大離陸重量を超える重量を示した。ノートパソコンの使用が疑われる。

   99.9                        降下中 主脚のアンロック表示が1分程度点滅。状況不明。

   99.10                     巡航中_PFD,ND,EICASDisplayが2~3秒無表示。ノートパソコン使用有り、因果関係不明。

   99.11                     上昇中_VHFに雑音。携帯電話使用有り。電話の電源をOFFにしたところ解消。

   99.12                     上昇中_オートパイロットが突然解除。デジタルビデオカメラの使用を中止した後異常なし。

   00.01                  スポット_エンジン作動中にも関わらず「エンジン停止」表示。携帯電話の使用有り。

   00.01                        降下中_FMCの画面表示が勝手にスクロール。客室内にて電子機器の使用を控えてもらったところノーマルに戻った。使用されていた機器は、ゲーム機、たまごっち、CDプレーヤー、携帯通信端末(時計型)。

4.耐空性に関わる安全水準等

 耐空性審査要領6-7-1電子装備品(臨界環境状態に対する考慮)

 FAR25.581「機体構造全般の避雷対策」

 FAR25.594「燃料系統の避雷対策」

 JISW-0812「航空機・搭載機器、環境条件および試験手順」

            搭載機器にたいし、種々の耐衝撃性などを規定しているが、EMI関連としては「無線周波数妨害感受性試験」として電界強度5ないし200V/mの耐性と、漏洩については100mV/m以下を要求している。

             5V/mの電界強度というのはとてつもなく強力な電波にさらされている状態で、簡単に言えば50KWで出力している東京タワーの直下で計測されるような強度です。

5.航空関係の経緯

 85年IEEE(国際電気標準学会)にて、微小漏洩電磁波が、電子機器に与える影響についてとりあげる。

 88年RTCA(米国航空無線技術委員会)が報告書のなかで、「航空会社は電磁波干渉の疑いのある不具合現象を報告する」との勧告を行う。

 90年頃より、電磁波干渉による航空機のシステムの誤作動例が集まり出す。

 93年4月IATA(国際航空運送協会)技術委員会が「ビデオゲーム、CDプレイヤー、ラップトップコンピューター等の電子機器の離着陸時の使用禁止」を勧告

 96年航空振興財団が影響調査を開始。

 97年運輸省航空局通達(機内における電子機器の使用)発行

 99年航空振興財団(EMI発見のための)「電磁波検出器の調査開発」報告

6.規制の現状

 一般

   欧州:電磁波を出さない、影響を受けない規制「CE」マーク

   米国:電磁波を出さない規制「FCC」マーク

   日本:電磁波を出していない業界自主規制「VCCI」1種2種

 航空

   IATA:上記記述内容の「離着陸時の使用禁止」勧告

   日本:航空会社により多少の相違があるが大意以下の通り

常時使用禁止「明らかに電波を発射する機器」

離着陸時使用禁止「IATA基準に準拠」

常時使用可能「一定の基準を満たした医療用機器、腕時計など」

具体的な機種については「常時使用禁止」機器を除き、各社で指定。

7.公的機関による不要電波放射規制

参考文献:「電磁波障害」産業図書刊 長谷川、杉浦、岡村、黒沼共著

航空振興財団「航空機内で使用する電子機器の電磁波検出器の調査開発」報告書

「エレクトロニクス ‘99/10」オーム社刊

航空技術#484「B777の技術解説」、

安全会議メモ「B777 型式証明付与を可能とする耐空性審査要領中の特別(追加)要件」(95-09-26)

 など

航空界の常識を覆す事故調の見解航空界の常識を覆す事故調の見解

航空界の常識を覆す 事故調の見解 「30万ft/min程度の減圧は、 人間に嫌悪感や苦痛を与えない」??? 123便事故の再調査を求める?E 「急減圧説」を採ると「なぜ乗員は酸素マスクを着用しなかったのか」「なぜ酸素なしで2万ft以上の高度に18分間もいたのに、意識障害を起こさなかったのか」といった大きな矛盾が残ります。 事故調査報告書の115頁に、この点に関する記載があります。  CVR記録にない「酸素マスク着用」の会話を捏造!?「運航乗務員の酸素マスクの着用については、CVRに18時26分30秒(注:異常発生から約2分後)以降数回にわたり、酸素マスクの着用についての声が記録されているが、(中略)(3名の乗務員の)何れも酸素マスクを着用しなかったものと推定される」(注:下線は組合による) しかし報告書のCVRの記録でも、この時刻に酸素マスクに関する会話は一切ありません。酸素マスク着用についての会話は、異常発生の9分以上後の18時33分46秒が初めてです。 なぜこれほど明らかな誤りを犯しているのでしょう。 9分間、酸素マスク着用が乗員の念頭になかった事実は重要なポイントのはずです。 「急減圧はなかった」と解釈すれば、矛盾は全て無くなるが…更に報告書では、次のように記述しています。 「従来からその着用について教育訓練を受けている運航乗務員が、減圧状態に直面しながらも酸素マスクを着用しなかったことについては、その理由を明らかにすることはできなかった。」 急減圧が発生した場合、まず酸素マスクを着用し、直ちに緊急降下を実施することは、緊急操作の基本中の基本です。 異常発生後、「急減圧」とのCALLは無く、酸素マスクも付けず、管制機関にFL240からFL220へ2,000ftしか降下を要求していないことは、乗員が急減圧と捉えていないからに他なりません。 「試験結果にもみられるように個人差はあるものの、同機に生じたとみられる程度の減圧は人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではないので、乗務員は酸素マスクの着用について心に留めつつも飛行の継続のために操縦操作を優先させていたものと考えられる。」 繰り返し訓練される「酸素マスク着用」の手順を、あえて無視するなど、乗員の常識では考えられません。 また「あえて意図的に酸素マスクを付けなかった」とする客観的根拠は、どこにも見当たりません。冒頭に紹介したCVRの記録にない会話をもって「酸素マスクの着用について心に留めていた」とするならば、「急減圧説」に固執するがあまり事故調が恣意的に捏造したと受け取られても仕方がないでしょう。 事故調が推定している30万ft/minという減圧率は、「約6秒間で地上からエベレストの山頂近くに押し上げられた」ほどの急激なものです。 「30万ft/minの減圧は、人間に嫌悪感や苦痛を与えない」ことが事実なら、航空界の常識・定説を覆す新発見と言えます。 (機長組合ニュース15-36)

勤務問題もくじ勤務問題もくじ

利用者・国民の皆様へー日本航空運航乗務員の勤務問題について勤務裁判判決確定!日本航空は判決に従うことなく ・東京⇔香港日帰り往復乗務<2回着陸で乗務時間8時間30分を超える路線>・アメリカ西海岸線(東京⇒ラスベガス)などで交替乗員を乗せず運航<乗務時間9時間を超える路線> という勤務を実施しています。 1993年11月1日、日本航空は運航乗務員の勤務協定を破棄し、全ての運航乗務員が反対する中で、世界の航空会社の中でも最悪の勤務基準に変更、一方的に強行しました。しかし、この基準には安全上の問題が多く、日本航空乗員組合は東京地方裁判所に訴えを起こし、裁判では第2陣も含めて、東京地裁・高裁で3つの組合全面勝利判決が出されていました。そして05年4月20日、日本航空が控訴および最高裁への上告受理申し立てを取り下げたため、この組合全面勝利の判決が確定しました。確定判決の主文は、 ・シングル編成(交替乗員がいない編成)の1回着陸において、乗務時間9時間、勤務時間13時間を超える勤務に就労の義務はない。・シングル編成の2回着陸において、乗務時間8時間30分、勤務時間13時間を超える勤務に就労の義務はない。 など、世界でも類を見ない劣悪な日本航空の運航乗務員の勤務基準が、裁判所で問題ありと判断されたものでした。 裁判で敗訴した日本航空は、判決を反映した内容で組合と暫定的に協定を結び、新たな協定締結に向けて話し合いを始めました。しかし、暫定協定が期限切れとなる今年11月1日から、日本航空の機長・副操縦士・航空機関士ら運航乗務員の強い反対の声を無視し、再び香港往復など判決に従えば実施できないはずの勤務を一方的に強行しています。日本航空は今年3月に「事業改善命令」を受け、表向きには“安全対策”として、現場と経営との距離感を見直し、コンプライアンス(順法精神)を掲げました。しかし実態は、安全運航のために現場からあがっている声も、さらには判決さえも平然と無視し続けています。日本航空で働く私たちは、利用者・国民の皆様の立場に立ち、このような事実を世間に広め、安全軽視の日本航空の経営姿勢を改めさせるとともに、安全最優先の日本航空にする取り組みを行っています。日本航空インターナショナルの三乗組(日本航空乗員組合・機長組合・先任航空機関士組合)は、2005.11.27方針に基づき取り組みを行っています。皆様のご理解・ご支援をお願い致します。  勤務裁判判決確定!  歴史的大勝利!組合の全面勝訴が確定!!4月20日、会社は勤務裁判を取り下ろしました。これにより11年間に渡る勤務裁判は組合側の全面勝利で幕が降りました。現在、三乗組では、少なくとも判決を反映し、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結するために取り組みを開始しています。経営と労務に最後の決断を迫る交渉を行う。 ・経営に真摯な対応を行わせるために、我々の主張を利用者・国民・マスコミに広げ、判決を背景に毅然とした行動をとる体制を構築する。 皆様のご理解・ご支援をお願い致します。日本航空乗員勤務基準裁判 組合全面勝訴判決確定にあたって 三乗組 声明経営に確定判決を守らせ、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結する取り組み 6.30三乗組勤務問題方針6月28日、暫定勤務協定を締結(労使調印)しました!「暫定協定は締結」-労使の合意が成立、マンニング精査の交渉に入っています6.14三乗組合同大会で、以下の方針が確認されました!6月17日三乗組社長交渉報告05年5月30日付勤務に関する会社文書の分析(三乗組)判決を反映し、運航の安全と健康を守れる勤務協定を締結するための取組み その1勤務に関わる三乗組方針(4月25・26・27日三乗組合同執行委員会  ✈2003.12.11乗員組合勤務裁判第一陣高裁判決 (第一報)組合側 全面勝訴! PDF乗員組合 声明文 PDF乗員組合勤務裁判 高裁でも全面勝訴(三乗組NEWS) PDF✈2003.12.25経営最高裁へ上告受理申請 乗員組合 上告後声明文 PDF✈2004.3.19乗員組合勤務裁判第二陣地裁判決 (第一報)組合全面勝利判決 PDF乗員組合 声明文 PDF3.19地裁第2陣裁判判決要旨 PDF✈長大路線のシングル編成運航について サブインデックス

実録 「沈まぬ太陽」アフリカ編実録 「沈まぬ太陽」アフリカ編

小説「沈まぬ太陽」のモデルとなった、日航労組元委員長 小倉寛太郎氏の海外辺地たらい回し人事の経緯を、吉原公一郎著「墜落」(大和書房)より抜粋させていただき、ご紹介します。 小倉寛太郎氏 日本航空の労働組合、いわゆる第一組合と呼ばれる労組は、1951年11月に結成された日本航空労働組合(日航労組)と、日航労組から1954年9月に分離・独立した日本航空乗員組合、日本航空整備株式会社の従業員で組織された日本航空整備労働組合(日整労組)であった。(この日整労組は63年10月の日航・日整の合併後、会社の行った分裂工作によって少数組合となり、同じく分裂させられた日航労組と66年8月に統一することになる) 日航内で自立した労働組合運動がはじめて成立するのは、1961年に小倉執行部(日航労組)が誕生してからである。では、それ以前の日航労組と会社側との関係はどうであったのか。 ?@ 組合の三役人事は、前執行部があらかじめ会社側と相談して決め、たとえば1960年度の吉高執行委員長は61年度の三役人事を小倉委員長、亀川副委員長、相馬書記長とすることを新町人事部長の諒解をとりつけた上で小倉氏に立候補を説得している。このように、執行部人事にあらかじめ会社が介入するやり方は、組合結成以来つづいていた。 ?A 組合三役の言動は会社の労務担当者がこれを演出するという関係にあり、たとえば分裂前の日整労組の書記長であった中村信治氏は、1965年7月、前年度執行部と会社との最後の労使協議の後、吉高労務課長らに酒食に誘われ、「私の言うことをよく聞いて今後は活動してほしい。そうしてくれれば君の前途は悪くしない」と念を押され、その後も分裂した「民労」と同じ内容で妥結することを求められている。 ?B 日航労組の三役ポストは出世コースであり、59年度執行委員の萩原雄二郎氏は62年には人事課長となり、その後現在では常務取締役(労務担当)となっている。60年度執行委員長の吉高氏は62年には労務課長に就任し、その後取締役になっているのである。  このように、会社との談合によって決められる三役が、会社側の筋書きに従って行動することにより、その見返りとして出世コースに乗るというパターンが「正常な労使関係」とされていたのであるが、それは、日航の路線拡張、事業所の増大にともなって増大していくなかで、慢性的残業をともなう長時間労働や、人員の不足を埋めるため中途採用者と定期採用者・正社員との賃金の格差、臨時従業員の身分、また正社員でも零細企業を含めた「全産業平均」にすぎない賃金水準の低さ-これらの是正を求める一般組合員の要求が充満してくるという矛盾が発生する。従って、従来のように執行部を使って組合員の要求をおさえこむという方式は、必然的に破綻し、1960年の年末闘争で吉高委員長以下の執行部が、年末手当に組合要求を独断で切り下げて妥結したことに対して、オペレーションセンター支部が委員長不信任決議をし、つづく全国大会でも執行部不信任案可決寸前になる。  このようななかで、61年度の執行委員長のポストを進んで引き受ける者がなく、吉高委員長は勝手に小倉寛太郎氏の立候補届を提出し、既成事実が作られた上で小倉氏は委員長を引き受けることになるのである。  「昭和36年度小倉執行部において日航労組ははじめて『会社のヒモがつかない』執行委員長を持つことができたわけである(吉高前委員長が、『小倉委員長、亀川副委員長、相馬書記長』の線で人事部長の諒解をとりつけて来た事実は、小倉にとっては委員長職を引き受ける理由ではなく、むしろ吉高氏からの立候補受諾の説得を当初拒否した理由であった。事実、小倉は前述のとおり右「了解事項」に拘束されることなく、規約上の三役指名権を行使し、亀川氏に代えて境栄八郎氏を副委員長に指名したのであった)。  そして小倉執行部(昭和36年度・37年度)、および境執行部(昭和38年度・39年度・40年度)のもとにおいて、十分な職場討議を経て組合員の要求をまとめ、組合員の立場に立って会社に対し率直に要求を提示し、正当な団体行動権の行使を通じ、あるいはこれを背景として会社と堂々と交渉するという、あたりまえの労働組合の姿が確立されたのである」(1969年3月31日「東京都労働委員会に対する『最終陳述書』」)  小倉執行部が成立した年、日航労組は時間短縮、労働協約の改訂、年末一時金のアップ、客乗ジェット手当改訂の要求を掲げて初のスト権を確立し、翌年ストに突入している。  この闘争を通じて1956年10月以来の労働協約の改訂が合意され、新協約には賃金や労働時間などの労働条件の引き上げが当然のことながらもりこまれ、またユニオンショップ制の強化、規約所定の組合各機関の会合の時間内保障等の組合の権利を伸長させたのである。そして、?@賃金水準は62年から65年までの毎春闘でのベースアップのつみかさねによって、「全産業平均」から「主要企業平均」の水準に達した。?A労働時間の短縮(週43時間を38時間に)、長期臨時従業員全員の正社員化、年休改善、定年延長、生休の一期間二日有給化、?B年齢調整(晩学調整)制度と中途採用者の経験調整制度等、今日の日航の労働条件の水準は、そのほとんどが小倉執行部時代の日航労組の活動によって獲得したものであった。  ちょうど、この時期は日航にとって収益の低下から無配転落、さらに翌年は経営赤字を記録するときにもあたっている。  日航労組の『最終陳述書』は、次のように書いている。  会社は、日航労組が小倉・境執行部をいただくことによって御用組合から脱皮し、一般組合員の要求を民主的手続を通じてくみあげ、その要求実現のためにたたかうまともな組合に成長したことに危機感を抱き、日航労組を昔日の御用組合の姿に戻すための数年間(昭和37年から40年)にわたり、あらゆる手段を用いて介入した。介入のパターンは一方において組合執行部を攻撃(?@組合役員・活動家に対する人事異動により一般組合員と接触を断つ、?A正当な組合活動への大量処分、?Bこれらを推進するうえで障害となる労働協約を廃棄する、?C管理職を使って、活動家の役員立候補を阻止する、など)するとともに、反執行部派を育成強化し、これに執行権を握らせるよう画策する(?@反執行部派に対する資金援助、?A職制機構を通じての役選票よみ等選挙対策の推進、?B職制に反執行部的意識を注入するための監督者研修に名を借りた思想教育、?C反執行部派に「今の執行部は問題解決の機能を失った」とアピールさせるためのお膳立てとして、団交形骸化、膠着の事態をたえず生じさせる)というものである。そして、足かけ4年にもわたるこの種の介入をやりつくしても、なお御用幹部が多数組合員の支持をとりつける可能性のないことを会社が知ったとき、組合を分裂させるという方向転換が指令されたのであった。  小倉寛太郎氏が二期つとめた委員長の座を降りるのは1963年6月であるが、日本航空の労務管理がどのようなものであるかを端的に示しているのが、小倉元委員長に対する海外たらい回し人事であった。  すなわち、小倉氏が委員長の座を降りて本社予算室に復帰して一年にも充たない翌年早々カラチ支店への転勤を命じられ、66年3月にはテヘランへ、70年1月にはナイロビへと、テレックスがたたきだす一片の命令によってつぎつぎに海外をたらい回しされるのである。  小倉氏に対しては、小倉執行部によって日航労組が初のストライキを実施した1962年当時から、すでに会社首脳部のあいだでは「くびにしろ」という声があり、そのために入社時にさかのぼって、小倉氏の勤怠状況が調査されている。本人が無遅刻・無欠勤であったため目的を果たせず、63年秋には新町予算室長が小倉氏に「おまえみたいなアカがこの予算室にいるのは非常に残念だ。とっとと出ていけ」といった事実さえあった。そして、その翌年早々にカラチ転勤となるのだが、彼には海外支店の総務主任の職務内容をなす経理・財務・調達・人事などの仕事についての経験はなく、しかも当時、組合の会計監査の地位にあり、母親と未成年の弟を同居して扶養中という生活環境の上からも転勤に不向きな条件にあった。従って、このような異動は常識では考えられないことであった。  日航の「海外在勤員の在勤期間基準」によれば、生活条件の劣悪な「特別地域」における在勤期間は二年とされており、赴任に先だって小倉氏は当時の松尾社長に、「会社の規定では任期二年ということになっているので、二年たったら必ず帰してもらえるのでしょうね」と念をおしている 。これに対して松尾社長は、「二年先のことはわしにまかせろ。悪いようにはせん、必ず責任を持つ」と答えている。  だが二年後には、支店開設のため総務主任としてテヘランに赴任させよというテレックスに接し、このことで、通常ならばこの人事について事前に本社から相談にあずかっているはずの支店長も、「あなたの問題に関しては私などの及ぶところではない、私にいくらいっても無駄である」と、小倉氏にいったという。  テヘランに赴任直後、小倉氏は母親の訃報で休暇をとって帰国したが、このとき松尾社長は彼の顔を見るなり「すまん、すまん」といい、「テヘラン支店の開設が軌道に乗ったら帰してやるから、それまで待て」となだめているが、結局この約束も果たされず69年いっぱいテヘラン勤務をつづけさせられたあげく、さらにナイロビへ転勤させられるのである。  小倉氏がテヘラン支店に勤務していた1968年秋頃、本社人事部長安辺敏典氏が出張した際、小倉氏は「いつ帰してくれるのか」といったところ、安辺人事部長は「あなたが帰っても組合活動をやらない、組合と縁を切るという約束をすれば、それは簡単なんだけれども…」と、組合脱退と帰国とを取り引きする話を持ちかけている。  このとき小倉氏は、「だいたい会社が組合を分裂させてから、第一組合が非常に困難な状況になっているというのは、外地にいる私も知っております。私がかつて委員長をやっておりましたときに私を信用してくれた人たちが多く第一組合に残って、困難に負けずに頑張っている。そこで男として「私はもう組合をやめましたよ」というようなことがいえると思いますか、あなただったらどうします」と反問して、人事部長の誘いをことわっている。  ナイロビへの転勤命令は、営業所長と異なり、部下を持たない販売駐在員で、現地人ならともかく、日本人としては前例のない地位におかれたのである。