Month: February 2011

なぜいくつも組合があるのか・・・なぜいくつも組合があるのか・・・

第1章  ~乗員組合創成と労務政策~  ◆日本航空設立・・・外国人乗員での出発 ◆1954年 乗員組合結成と労働条件の向上 ◆経営側の体制強化 ◆初めてのストライキ決行(組合役員4名の解雇) ◆熾烈を極めた分裂工作 その?@ 第2章 ~運航乗員組合の民主化と機長全員管理職制度~  ◆分裂後の労働条件の実態 ◆御用組合から自分たちの組合へ ◆熾烈を極めた分裂工作 その?A 第3章  ~労務政策が生んだ大きな代償、航空事故~  ◆連続事故 ◆物の言えない職場 ◆日本航空の労務姿勢がもたらした事故 第4章  ~機長組合設立への道のり~  ◆機長養成訓練に持ち込まれた労務手法 ◆機長会(親睦団体)から機長組合へ ◆日本航空経営の管理強化、営利優先、安全軽視の姿勢は変わらず ◆御巣鷹山123便事故を契機に高まる労務政策への批判 :1986年ついに機長組合設立 統一宣言  年表「日航乗員闘いの軌跡」  ~乗員組合創成と労務政策~ 第1章 ◆日本航空設立・・・外国人乗員での出発1951年8月1日に日本航空株式会社(旧会社)が設立されました。しかし、まだ航空機の製作、組み立て、所有及び運航は認められませんでした。1952年4月にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本の空の自主権が回復し、これに伴い7月1日に羽田空港が返還されました。そして7月15日には国際民間航空条約(シカゴ条約)に準拠した新航空法が公布施行されました。翌1953年8月1日に「日本航空株式会社法」(日航法)が公布され、10月1日に旧日本航空は新会社に営業の全てを譲渡して解散し、政府出資とあわせて半官半民の日本航空が誕生しました。さらに、1954年2月2日からは国際線(東京―サンフランシスコ線)進出を果たしたのです。 この間、1952年4月9日に日本航空のマーチン202型「もく星号」(ノースウエスト航空の航空機、運航乗務員、整備員で運航)が伊豆大島三原山に衝突、乗員乗客37名全員が死亡する事故が発生し、日本航空としての自主運航の気運が高まっていきました。