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123便事故の再調査を求める2

強い風の吹き抜け、激しい騒音、乗員は減圧を直ちに認識、航空性中耳炎・低酸素症の症状、凍えるような寒さ

=これが本当の急減圧だ!=

123便事故の再調査を求める?A

これまでに起きた、急減圧を伴った大型機の事故の特徴を見てみましょう。

(下線は、123便事故との比較においてポイントとなる項目)

【72年6月12日 アメリカン航空DC-10型機】

11,750ftを上昇中、後部貨物室のドアが開き、急減圧が発生。高度は低かったが、爆発音と霧が発生し、機内を風が吹きぬけた。

【75年1月15日 ナショナル航空DC-10型機】

39,000ftを飛行中、No.3エンジンが分解し、その破片が客室の窓を破壊した。1名の乗客が窓から吸い出され、行方不明となった。減圧発生から約10秒以内に、操縦室の酸素マスクから酸素が流出し、その音がCVRに記録されている。これは減圧を示す一つの証拠として注目された。

【86年10月26日 タイ国際航空A300-600型機】

33,000ftで土佐湾上空を飛行中、機内で手投げ弾が爆発し、後部圧力隔壁を破壊、急減圧発生。9秒間で5,600ftから20,000ftまで減圧、減圧率は96,000ft/minであった。機内では、操縦士は直ぐに急減圧の発生を認識し、緊急降下を試みている。与圧空気は機内を強い風となって通り抜け、最後部洗面所の化粧台を倒壊させ、圧力隔壁後方へ抜けた。搭乗者247名中89名が航空性中耳炎になった。

【89年2月24日 ユナイテッド航空 B747-122型機】

ホノルル離陸後、22,000~23,000ftを上昇中、異常音とともに爆発的な急減圧が発生。運航乗務員らは直ちに酸素マスクを着用したが、酸素は出てこなかった。直ちに緊急降下を実施し、ホノルルに引き返した。原因は前方貨物ドアが吹き飛び、約14?uの穴が開き、それと同時に機内の酸素供給システムが破壊された。

客室内では、減圧とともに強い風が客室内を吹き抜け、客室乗務員らは物に掴まって吹き飛ばされるのを防いだ。風が収まった後も機内の騒音が激しく、乗客への着水準備の指示に困難をきたした。PAは騒音のために全く役に立たなかった。減圧に伴って気温が急激に低下し、凍えるように寒く感じた。客室の酸素マスクは作動しなかったため、客室乗務員らは携帯用酸素ボトルを使用したが、その数が十分でなく、一部の乗員は、酸素不足によるめまいを経験している。

【90年12月11日 エア・カナダ L1011型機】

マンチェスター上空で37,000ftを飛行中、後部隔壁が破損し、急減圧が発生した。乗員らは直ちに酸素マスクを着用し、緊急降下を開始するとともに、急減圧に関するチェックリストを行っている。

客室後部にいた客室乗務員は、鈍い「どーん」という音と同時に、左後部のトイレ付近から空気が流れる音を聞いている。30~40秒後に乗客用マスクが落下した。FDRの記録では、客室内の気圧は6,300ftから20,500ftまで減圧し、緊急降下によって再び気圧は上昇し、10,000ftになっている。

結果的に、20,000ft以上に56秒間、18,000ft以上に2分20秒間あったことが記録されていた。この減圧で、3名の乗客が激しい頭痛と耳痛を訴え、数人がめまいを訴えた。

後部トイレのパネルが後部圧力隔壁に押し付けられ、パネルの縁が裂けていた。グラスファイバーの断熱材が尾翼の点検孔から垂れ下がっているのが見られ、後部圧力隔壁の後方の胴体内部にも多量の断熱材が見られた。圧力隔壁は、その外周の8~9時の位置の三角パネルの外周部に2ftと1ft程度の長方形の部分が後方にめくれていた。

(機長組合ニュース 15-18)