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123便事故の調査を求める1123便事故の調査を求める1

「急減圧はなかった」となれば、
崩壊する 事故調査報告書のストーリー

123便事故の再調査を求める?@

123便事故調査報告書(87年6月19日発表)では、その推定原因を「修理ミスが原因で、飛行中に後部圧力隔壁が客室与圧に耐えられなくなって破壊し、客室内与圧空気の圧力によって尾部胴体、垂直尾翼が破壊され、油圧系統も破壊され操縦不能となり墜落した」としています。

この「垂直尾翼の破壊エネルギーは、圧力隔壁から流出した機内からの空気流である」とのストーリーは、機内の急減圧の発生なしには成り立ちません。

しかし、コックピットでの会話、機内の写真、生存者の証言など、急減圧の存在を否定する事実が次々と明らかになっています。これは事故調査報告書の推定原因を根底から覆すものに他なりません。

このシリーズで、事故調査報告書における疑問・矛盾を振り返り、真の事故原因究明のために、再調査の必要性を考えていきます。

検察官も否定した事故調の推定原因

この事故の刑事責任を調査していた検事が、8.12連絡会の遺族に対し次のように語っています。

事故調査委員会の報告書もあいまいと思う。皆さんは我々が本当に大切な資料を持っているように思っているが、資料は、事故原因については事故調査委員会の報告書しかわからない。それを見ても真の原因はわからない。

修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしいということだ。タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが、この事故ではない。圧力隔壁破壊がいっぺんに起こったかも疑問である。

まずボーイング社が修理ミスを認めたがこの方が簡単だからだ。落ちた飛行機の原因ならいいが、他の飛行機までに及ぶ他の原因となると、全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、ボーイング社としては打撃を受けるからだ。

犯罪捜査の立場から綿密な調査活動を進めてきた担当検事からも、事故調の報告書が信頼されていないことは、注目されるところです。

事故調が隠ぺい工作?!

担当検事の弁にもあるように、原因調査には事故調査報告書だけでは全く不十分であり、残骸・CVR・DFDRなど関連資料の関係者への公開は、欠かせません。

私たちは事故調査委員会に対し、こうしたローデータの公開と再調査を求め、度重なる要請を行ってきました。また123便事故の遺族も、昨年1月、運輸省宛てに事故原因の再調査を求める要請を行っています。

こうした中で、事故調査委員会は、昨年11月に1.6トンもの事故調査関連資料を破棄したとも報道されています。

報道が事実ならば、再調査を求める声が高まる中、事故調はなぜ処分しなければならなかったのでしょうか?

「来年の情報公開法施行を意識して」(関係者間の連絡文書)の処分ならば、その資料公開をなぜ恐れたのでしょうか?

またこれが妥当な取り扱いであるならば、なぜ事故調は今年5月の安全会議との交渉の席上、「処分していない」と虚偽の説明をしなければならなかったのでしょうか?

(機長組合ニュース 15-17)

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ザ・ノンフィクション 日本航空123墜落事故 15年目の検証ザ・ノンフィクション 日本航空123墜落事故 15年目の検証

ザ・ノンフィクション 日本航空123便墜落事故・15年目の検証 2000年11月19日、フジテレビで標記の番組の放映がありました。番組独自の減圧実験や最新技術による音声解読、関係者への聴き取り調査などによって、123便の事故調査報告書に関する数々の疑問点を浮き彫りにし、真の原因究明の糸口を掴もうというものです。その中では、 * 事故調査委員会の減圧実験被験者から「マスクを付けた」と日航の元乗員が聞いており、報告書の記載と食い違いが浮かび上がった。しかし、当時の実験担当者は事情説明を拒んだため、謎として残った。 * 事故調査委員会が「オールエンジン」と解読した音声は、分析の結果「ボディギア」である可能性が出てきた。このキーワードは、当時の状況を推察する上で、重要な別の意味を持ってくることにもなりえる。 など、再調査の観点で重要なテーマとも考えられるものです。 この度、許可を頂きましたので、この番組を紙上再現してみました。  【ザ・ノンフィクション】 123便CVR音声「・・なんか爆発したぞ」 昨年12月、我々は日航123便墜落事故のボイスレコーダーの録音テープを入手した。 1985年8月、乗客・乗員524名を乗せた旅客機が群馬県御巣鷹山に墜落。墜落後およそ16時間を経て救出された生存者はわずか4名、単独事故として航空史上最大の犠牲者を出した。 運輸省事故調査委員会は、ボーイング社が事故機の後部圧力隔壁の修理ミスを認めたのを受け、これを事故原因と推定した。 運輸省事故調査委員会 武田 峻委員長(当時) 「昭和53年大阪国際空港における事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました」 これをもって、調査は事実上終了した。 しかし、‥‥ 15年経った今なお、航空関係者の間に事故調査報告書の曖昧さを指摘する声は根強い。本当に事故原因は究明されたのか、遺族の無念は晴れることなく、心に傷を残したままだ。 一方報道各社は、今年になって123便のボイスレコーダーの音声を入手、ニュースやワイドショー等でも広く取り上げられた。 コックピットの息詰まる音声は、様々な人に事故の記憶を呼び覚ました。 同じ頃、我々は、カナダに入手したボイスレコーダーの音声を持ち込んでいた。航空機の事故分析のエキスパートに、最新のデジタル解析による音声分析を依頼していた。事故当時には判読不確実とされた個所、それを明らかにすることによって新たな事実が浮かび上がる可能性があった。 事故調査報告書に記された一つのキーワード「オールエンジン」と判別された言葉は、なぜそう読まれたのか? 2万4千フィートの上空で、突然異常事態に見舞われた123便、機内には急減圧があったと報告書は記している。コックピットの状況を調べるために、航空自衛隊で行われた実験を記録したテープがある。この実験にも、一部で疑念が持たれていた。 520名もの尊い命を奪った忌まわしい事故、懸命に機体の立て直しを図っていた乗員たちのやり取りを   いま、改めて検証する。 日本航空123便墜落事故 15年目の検証 あの夏、123便はお盆の帰省客を大勢乗せて、羽田から大阪へ向け飛び立った。偶然にも、その時に撮影されたホームビデオが残っている。いつも通りのフライトと誰もが思った。 ところが・・・・

日本航空機長組合 – Japan Airlines Captain Association日本航空機長組合 – Japan Airlines Captain Association

日本航空の労務政策 -考察・「沈まぬ太陽」-かつて労働関連の役所の方に「海老取川のむこうは無法地帯」と言わしめた日本航空の労務政策。 ベストセラーとなった山崎豊子作「沈まぬ太陽」からも、それを読み取ることができそうです。ストライキを決行すれば「殿様スト」などとマスコミに批判されましたが、社内の多くの組合から裁判所や労働委員会などに訴えられた、そして組合がストライキを決行せざるを得なかった背景・・・ ベストセラー小説のモデルにまでなってしまった日本航空の卑劣な労務政策を、多くの皆様に知っていただきたく、このページを作成しました。 “実録”「沈まぬ太陽・アフリカ編」 年表-日本航空の労務政策 「沈まぬ太陽」乗員版・解雇編 「沈まぬ太陽」乗員版・昇格差別編 「沈まぬ太陽」の反響 -週刊朝日 VS 週刊新潮・・・日本航空、機長組合の見解- 深田祐介氏も参戦 !?(ある機長の投書より) 「企業と人間-労働組合、そしてアフリカへ-」沈まぬ太陽の真実を語る佐高信・小倉寛太郎著 紹介  沈まぬ太陽沈まぬ太陽沈まぬ太陽 “実録”「沈まぬ太陽・アフリカ編」 年表-日本航空の労務政策 「沈まぬ太陽」乗員版・解雇編 「沈まぬ太陽」乗員版・昇格差別編 「沈まぬ太陽」の反響 -週刊朝日 VS 週刊新潮・・・日本航空、機長組合の見解- 深田祐介氏も参戦 !?(ある機長の投書より) 「企業と人間-労働組合、そしてアフリカへ-」沈まぬ太陽の真実を語る佐高信・小倉寛太郎著 紹介 沈まぬ太陽沈まぬ太陽企業と人間関連ページへのリンク客乗組合著者 山崎豊子氏へのインタビュー(国公労連HPへのリンク)読者の皆様のご意見をお寄せ下さい。ご意見・ご感想がありましたら、 下記のリンク先よりメッセージをお願いします。  ご意見はこちらからお願いします 

三乗組 声明三乗組 声明

~勤務裁判組合全面勝訴判決確定~  1993年11月1日、日本航空株式会社(現 株式会社日本航空インターナショナル)経営による協約破棄がおこなわれました。それに端を発した運航乗務員の勤務基準に関する一連の勤務裁判は、経営側の最高裁に対する「上告受理申立」(第1陣訴訟)、東京高裁に対する「控訴」(第2陣訴訟)の取り下げ(いずれも2005年4月15日付)により、本日、「組合側の全面勝訴の判決」が確定しました。  第1陣の第1次提訴(1994年4月22日)以来、11年の歳月に及ぶこの裁判闘争は、法廷では、経営側の一方的な「労働条件の不利益変更」の争いでしたが、私たち日本航空乗員組合、機長組合、先任航空機関士組合(以下三乗組という。)が裁判で訴え続けてきたことは「航空機の運航の安全を守る」ということでした。航空産業におけるパイロット・フライトエンジニア達の4、000日に及ぶ「航空機の運航の安全を守る」闘いとして、日本国内の労働者や利用者の方々のみならず、広く世界中の航空業界でも注目されてきました。このような状況の中で、今般「組合側の全面勝訴の判決」が確定することの意義は、非常に大きなものであると、私たち三乗組は確信しています。  当初、25名の乗員組合執行委員を原告として始められた裁判は、最終的に第1審弁論終結時には総原告数898名(第1陣53名、第2陣846名)となり、第1陣、第2陣裁判を通じて60回以上開廷された公判(法廷期日)は、三乗組の組合員や社内、国内および海外の航空産業で働く仲間や利用者をはじめとする多くの方々の支援を受け、全ての期日で原告・傍聴者が法廷から溢れ出るという状況の中で進められてきました。また、世界80カ国10万人のパイロットで組織するIFALPAや英国航空をはじめとする世界各国の乗員の団体からの要請文も数多く裁判所に提出され、最終的に裁判所に提出された支援者の方々からの署名数は、団体約3500、個人約10万筆に及びました。  このような中で1999年11月25日、第1陣1審裁判で東京地裁は、「科学的、専門技術的見地から(就業規則改定は)相当ではなく、安全性を損なわないように内容を決定したと認めるに足りず、規定の内容自体の合理性を肯定できない」、「危険な規定である」等々の指摘を行った上で、「例えば、予定着陸回数が1回の場合、連続する24時間中、乗務時間9時間、勤務時間13時間を超えて就労する義務のないこと確認する。等」との組合側主張を全面的に認める判決を下しました。  また、2003年12月11日、会社の控訴により始まった第1陣控訴審裁判で東京高裁は、地裁での判決理由に加えて、「人件費効率向上を図るという目的との関係で、本件就業規程改定が有効であったとしても、その効果が大きいものであったということはできない。したがって、本件就業規程改定の必要性があったとしても、その程度は高度であったということはできない」等々を指摘し、「労働者に大きな不利益を与えてまで強行する経営上の高度の必要性はない」などの理由で、地裁判決を上回る内容で、組合側主張を全面的に認める判決を下しました。  更に、2004年3月19日、第2陣1審裁判で東京地裁は、これまで認められていなかった「会社が管理職扱いをしている機長および先任航空機関士」の組合員に対しても「訴えの利益」を認める判決を下しました。  しかし、日本航空経営は、裁判所が「安全検証が不十分である、危険な規定である」と指摘した改悪勤務基準を、いずれの判決後も改めようとしませんでした。 さらに「高裁への控訴、あるいは最高裁への上告受理申立により、判決が確定していない」との理由を掲げ、公正な立場である第三者機関の「重大な指摘を無視し、1審判決以降だけでも5年5ヶ月に渡り、このような改悪基準での運航を続けてきました。 本来、安全運航を求める航空会社であるならば、判決の確定如何に関わらず、上記内容の判決を受けた以上、即刻、このような勤務基準に基づく運航を一旦中止し、勤務基準の改善を行った上で、必要であるならば裁判で争うべきであるにもかかわらず、経営は、日本の三審制という司法制度の下での「判決が確定していない」と主張し、これを口実に、事実審の最終審である高裁判決をも無視して、このような運航を続けてきました。経営のこのような安全性を軽んじる姿勢は、社会的にも倫理的にも許し難い行為といえます。 しかしながら、今般の判決確定により、経営側が改悪基準で運航可能であるとする根拠は全て失われたことになります。更に、最高裁の判断が下される前に、経営自らが全ての裁判を取り下ろし、判決が確定したということは、経営自らが、上記判決の指摘を認めたことに他ならず、乗客・社員に対して安全配慮義務を求められている日本航空経営が、11年間もの長きにわたり不安全な勤務基準による運航を行ってきたという事実を認めたことになります。 利用者の生命を預かる航空運送事業を行っている以上、日本航空経営が直ちに実行すべきは、「1回着陸における乗務時間9時間を超える勤務、または勤務時間13時間を超える勤務」や「2回着陸における乗務時間8時間30分を超える勤務、または勤務時間13時間を超える勤務」等々、判決に抵触する業務命令を撤回することです。 しかし経営は、裁判敗訴確定の直前にまたも就業規則を改定し、それをもって判決を守らず、安全性に疑問があると指摘された勤務基準を未だ続けようとしています。 私たち、三乗組は、確定した判決が反映され、運航の安全と健康が守れる勤務協定締結に向け、経営と労務に最後の決断を迫る交渉を行い、最終解決に向け闘っていきます。 経営が交渉に誠実に応じなければ、私たちは事前に利用者・社会の皆様に広くお知らせした上で、法律に則り「判決で勝ち取った、就労の義務のない勤務」には就かない行動をとる考えです。 私たちは、これまでの皆様の温かい御支援により、今日の全面勝訴判決確定を迎えられたことを感謝するとともに、今後も、日本航空に安全運航と法律を守らせることに向け、皆様のご理解と、さらなるご支援をお願い致します。 2005年4月 日本航空乗員組合 日本航空機長組合 日本航空先任航空機関士組合