〔2〕オイルショックとデレグ法(ディレギュレーション:航空規制緩和法)

1970年代の初めに起きた第一次オイルショックと1978年の第二次オイルショックなどに より世界の経済は低迷し,米国も不況に落ち入っていました。
 こうした米国航空界の不況に対し,規制の緩和や自由競争の原理を導入しようとする動きが強まり,1978年力一夕ー政権によりデレグ法が制定されました。
 デレグ法が制定されたことにより米頭内に航空会社が乱立し,しかも各航空会社が自由 に路線や運賃を決められることから,米国航空界は大変な過当競争に突入することにな りました。そして激しいダンピング合戦がくり広げられたのです。
 このことは当然のごとく各航空会社の収入の悪化を招き,1980年には大手の航空会社といえど軒並赤字に転落していきました。

収入の悪化による経営の危機を「合理化」で乗り切ろうとした各航空会社は賃金凍結や, 大幅な賃金切り下げ,レイオフ,あるいは再雇用や新規採用に伴うこ重賃金制度(同じ労働をしても後から採用された者は前から働いている者より大幅に賃金が低いという制度),パートタイマーの導入など,ありとあらゆる人件費の削減を労働者にしわよせして釆ました。
 また,整備費の削減(整備規定通りに行わない),訓練賛の削減(パイロットの座学時間の短縮など,訓練を規定通りに行わない)等,無茶苦茶ともいえる経費削減,人員整理が強行され,安全性は低下していきました。こうした背景のなか航空機事故も多数発生しています。
'85年にはFAAの安全検査で,パンアメリカン航空195万ドル,イースタン航空95万 ドル,アメリカン航空150万ドルの規定違反による罰金が徴収されました。
 ピープルエキスプレスでは運航乗務員の訓練手抜きで何十名もの運航停止処分が言い渡されています。

航空機メーカーも航空会社と同様オイルショック以来不況に苦しんでいました。巨額の費用を投じて開発した航空機が売れるか売れないかは航空機メーカーにとって死活問題であったのです。
 開発当初在来型のF/Eパネルを有する3名編成で計画されたB767はその仕様で多数の航空会社のオーダーを受けながら,いち早く2名編成をセールスポイントに売り出したA310に対抗する為に,開発の途中から強引に2名編成に仕様を変更していった経緯があります。
  これは,経費削減,人員整理などの「合理化」の嵐がコクピットの編成数に大きな影響を与え,2名編成が求められた事の表われといえるでしょう。B767は1号機から4号機までは在来型のF/Eパネルを有する3名編成機で製造され,基本となる試験飛行は3名編成で行いながらも,2名編成機として製造された5号機でワークロードの検証などを行い1982年,B767は2名編成機として耐空証明を取得しました。