「ジャストカルチャーを考える」

   
 

ヒューマンエラーは裁けるか 〜安全で公正な文化を築くには〜
原題 “
Just Culture : Balancing Safety and Accountability

シドニー・デッカー著(監訳 芳賀 繁氏)

Just Cultureという言葉を耳にしたことはありますか?この“Just”という言葉の邦訳としては、「公正な」とか「正義の」といった言葉があてられることが多いようです。

ICAO等の海外の文献では、「積極的な安全文化」として以下の5つの要素があるとされています。(後に紹介しているように4要素とする考え方もあるようです)


「報告する文化」・・・エラーや経験を報告する用意が出来ていること

「情報共有の文化」・・・システムとしての安全性を決定する人間、技術、組織、環境等の要因について、知識が与えられていること

「柔軟な文化」・・・臨機の対応が強く求められたり、危機に直面した場合、通常の上下関係の組織からフラットな組織への変更を受け入れることが出来ること

「学習する文化」・・・安全情報から積極的に対応を検討することが出来る、また、大きな変化を成し遂げようとすること

「正義の文化(Just Culture)」・・・安全に関する重要な情報を提供することが奨励され、さらには報いられること。ただし、許容される行動と許容されない行動との間に明確な線引きがあること。


一方、JALの安全管理規定では次のようなヒューマンエラーへの非懲罰ポリシーが掲げられています。

航空運送の安全に直接係わる不安全事象を引き起こした行為のうち、十分注意していたにも拘わらず、避けられなかったと判断されるヒューマンエラーについては、懲戒の対象としない。

これは「エラーを起こした個人を責めるのではなく、なぜエラーが起こったのか、真の原因を究明し再発防止を図る」観点から設けられたもので、安全文化の醸成に寄与するであろう先進的なポリシーと言えます。とは言うものの、これをさらに掘り下げて考えていくと、次のような疑問が湧いてきます。すなわち、

  • この場合の「十分注意していた」というのはどの程度の注意力を指すのでしょうか?

  • また、どのような事態の場合「避けられなかったと判断される」のでしょうか?

  • そしてこれらの点について、客観的で明確な線引きは果たして出来るのでしょうか?


起きてしまったことから最大限の学習をし、それによって安全性を高めるための対策を行うことと同時に、事故の被害者や社会に対して最大限の説明責任を果たすこと。この二つの目的を実現するための挑戦を続ける組織文化が「ジャスト・カルチャー」なのだ。

 先にあげた疑問を解決するためのヒントとして、「ヒューマンエラーは裁けるか 〜安全で公正な文化を築くには〜」(原題 “Just Culture : Balancing Safety and Accountability”)と題する本の日本語翻訳版が先般発行されています。(監訳者はJAL安全アドバイザリーグループのメンバーでもある芳賀 繁氏)

この中では、医療過誤により有罪判決を受けた看護師の例(スウェーデン)、低視程下のILS CAT-V Approachで不安定な進入となりGo Aroundしたものの航空機と乗客を危険に晒したとして過失の罪を負わされた機長の例(イギリス)、Towing Carと離陸機とのRWY Incursionについて過失責任を問われ起訴された3名の管制官の例(オランダ)などをあげながら、Just Cultureをいかに構築していくべきかについて問題提起しています。


(下記、朝日新聞での書籍紹介を参照)

著者は、“失敗から学習すること”そして“被害者・社会への説明責任を果たすこと”に挑戦し続けることがJust Cultureの本質であることを訴え、また「悪質」「怠慢」「意図的」などを客観的に定義することは極めて難しいことから、どこに境界線を引くかではなく、誰が境界線を引くかということを議論すべきであること、そしてその役目は司法ではなく、専門家や外部有識者による機関などが、権威と専門性を持って線引きし、当事者、被害者、社会がその決定を受け入れる仕組みを作るべきであると提言しています。

本著のあとがきにそのエッセンスが集約されていますので一部抜粋して紹介します。

あとがき全文を読む;外部サイトへ飛びます)

("監訳者による解説とあとがき"より抜粋)

(前略) イギリスの心理学者でヒューマンエラーの研究で名高いジェームス・リーズンは「組織事故」という著作の中で、安全文化を構築するために達成すべき4つの要素を上げている。そのうちの一つが「ジャスト・カルチャー」であった。私はその内容を拙著『失敗のメカニズム』の中で次のように紹介した。
「正義の文化」とは、叱るべきは叱る、罰するべきは罰するという規律である。安全規則違反や不安全行動を放置してはならない。
ここでもジャストを「正義」と訳したのは、信賞必罰や規律という側面が強調されていたからである(ちなみに、「組織事故」の邦訳でも「正義の文化」と訳されている)。
しかし、本書を読んでいただければおわかりの通り、デッカーが説く、ジャスト・カルチャーは、もっと柔軟なものである。起きてしまったことから最大限の学習をし、それによって安全性を高めるための対策を行うことと同時に、事故の被害者や社会に対して最大限の説明責任を果たすこと。この二つの目的を実現するための挑戦を続ける組織文化が、「ジャスト・カルチャー」なのだ。
そこで、さんざん悩んだ末に、本書では「公正な文化」と表現することに決めた。デッカーは、「公正な文化には、オープンさ、法令順守、より安全な実務の遂行、批判的な自己点検が備わるものと期待されている」、そして「安全性を向上させ続けるために、失敗から学ぶことと、失敗に関する説明責任を果たすことの両方をどうやって満足させるかが本書の論点である」と述べている。

公正な文化を構築する上で、大きな障害となるのが司法システムの介入である。医師、看護師、航空パイロット、管制官、警察官、ソーシャルワーカーなど、高度な専門性を持った実務者(本書では「専門家(professionals)」とも呼ぶ)がエラーをおかして被害が生じた場合、刑事責任を問われて裁判にかけられることがあるのは日本だけではない。デッカーは数多くの具体例を引きながら、このような司法システムの介入が、実務者たちの報告意欲を削ぎ、実務者と組織、組織と規制当局の間の信頼を壊し、実務者も組織も安全性向上より自己防衛の方策に力を入れるようになると警告する。また、裁判を通して真実を明らかにしたいという被害者の期待も叶えられないことが多いという。なぜなら、裁判においては、自分に不利になる証言はしなくていいことが権利として認められているし、裁判の争点となっている問題以外は論じられることがないし、対立する事故についての説明のどれが正しいかが決定され、他はすべて間違っていると却下されるからである。しかし、高度で複雑なシステムの中で起きた事故の説明は、様々な視点からの複数の説明があり得て、そのうちどれか一つだけが「真実」というような単純なものではない。複数の説明のそれぞれに一理あることを認め、対策を多角的に進めていくことが安全性の向上に必要なのだ。
もちろん、だからといって、専門家のエラーがすべて免責にされるべきだと主張しているわけではない。許容されるエラーと許容されない(すなわち罰すべき)エラーの間の境界線をどう引くかという問題も、本書の重要な論点となっている。詳しくは本文を読んでいただきたいが、デッカーの主張は以下のように要約できるだろう。

  • 多くの論者は悪質なエラー、著しい怠慢、意図的な違反は許容できないと言うが、「悪質」、「怠慢」、「意図的」などを客観的に定義することは難しい。

  • したがって、どこに境界線を引くかという問題を議論するのをやめて、誰が境界線を引くかということを議論すべきである。

  • 司法システムが境界線を引く(すなわち、有罪か無罪かを決める)のは弊害が多い。

  • したがって、同じ職種の専門家や外部有識者によって構成される機関などが、権威と専門性を持って線引きをし、当事者、被害者、社会がその決定を受け入れる仕組みを作る必要がある。

    この意見には、安全と危険が紙一重の業務に携わる専門家の大半が賛同するだろう。しかし、そうでない人々にとっては、専門家に甘すぎると感じるかもしれない。いくら悪意がなかったとしても、過失により人を傷つけたり、死なせたりした者は罰せられるべきだ。そしてエラーをおかした専門家が罰せられることによって、他の専門家がもっと注意して仕事をするようになるだろうと思うかもしれない。実際には業務上過失致死罪に対する刑事罰は軽く、執行猶予もつきやすい。職能団体による資格停止などの処分のほうが、専門家にとっては重いものとなる可能性がある。また、注意をしていてもおかしてしまうのがヒューマンエラーであって、「一罰百戒」の原理は成り立たないと私は考えている。むしろ、刑事罰を恐れて報告を上げなかったり、失敗を隠すことの弊害が大きいと私は思う。
    ただし、デッカーの主張が日本社会に受け入れられるためには、次の三つの条件が満たされる必要があるだろう。

    1. 事故を調査し、それにかかわった専門家の行動が許容できるかできないかを判断し、許容できない場合には資格にかかわる処分を決定するための、厳正で、能力の高い、その領域の実務者からも社会からも信頼される自律的組織が存在すること。

    2. 事故調査から得られた教訓に基づいて、安全性向上策が確実に実行される保証があること。

    3. 事故被害者が経済的・精神的支援を受ける仕組みを作ること。

    この問題について、本書の出版をきっかけとして広範な社会的議論が起きることを期待している。 (後略)


日本においても2001年焼津上空付近で発生した907便・958便のニアミス事例では2名の管制官が業務上過失傷害の罪で高裁にて有罪判決を受け、現在上告中ですが、予断を許さない状況です。また他産業においても事故やリスクイベントの関係者を厳罰に処することで事態の解決を図ろうとする風潮がより高まっていると言えます。

また社内では、ヒューマンエラーに起因した事例の関係乗員に対して随時審査が行われる事例も発生しています。一般論として、仮に技量レベルの疑義が明らかとなりその確認が必要と判断されるのであれば、それを否定するものではありませんが、会社がいくら「審査は懲罰ではない」と説明しても、それが職場からは「理不尽な当事者への責任のなすりつけ」と受け取られてしまい、報告を躊躇するような風土が生まれてしまえば、その信頼を取り戻すことは容易ではないはずです。

失敗から学びとる積極的な安全文化の醸成を図りつつ、かつ社会からも「公正」な対応をしているとの信頼をかち得るには何をすべきなのか、私たちはこれからもその“あるべき姿”について模索していこうと思います。

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