jca Jamaika  

ザ・ノンフィクション 日本航空123墜落事故 15年目の検証

ザ・ノンフィクション

日本航空123便墜落事故・15年目の検証

2000年11月19日、フジテレビで標記の番組の放映がありました。番組独自の減圧実験や最新技術による音声解読、関係者への聴き取り調査などによって、123便の事故調査報告書に関する数々の疑問点を浮き彫りにし、真の原因究明の糸口を掴もうというものです。その中では、

* 事故調査委員会の減圧実験被験者から「マスクを付けた」と日航の元乗員が聞いており、報告書の記載と食い違いが浮かび上がった。しかし、当時の実験担当者は事情説明を拒んだため、謎として残った。

* 事故調査委員会が「オールエンジン」と解読した音声は、分析の結果「ボディギア」である可能性が出てきた。このキーワードは、当時の状況を推察する上で、重要な別の意味を持ってくることにもなりえる。

など、再調査の観点で重要なテーマとも考えられるものです。

この度、許可を頂きましたので、この番組を紙上再現してみました。

 
【ザ・ノンフィクション】

123便CVR音声「・・なんか爆発したぞ」

昨年12月、我々は日航123便墜落事故のボイスレコーダーの録音テープを入手した。

1985年8月、乗客・乗員524名を乗せた旅客機が群馬県御巣鷹山に墜落。墜落後およそ16時間を経て救出された生存者はわずか4名、単独事故として航空史上最大の犠牲者を出した。

運輸省事故調査委員会は、ボーイング社が事故機の後部圧力隔壁の修理ミスを認めたのを受け、これを事故原因と推定した。

運輸省事故調査委員会 武田 峻委員長(当時)

「昭和53年大阪国際空港における事故による損傷の修理の際に行われた後部圧力隔壁の不適切な修理に起因しており、また亀裂が隔壁の損傷に至るまで進展したことは点検整備で発見されなかったことも関与していると推定いたしました」

これをもって、調査は事実上終了した。

しかし、‥‥

15年経った今なお、航空関係者の間に事故調査報告書の曖昧さを指摘する声は根強い。本当に事故原因は究明されたのか、遺族の無念は晴れることなく、心に傷を残したままだ。

一方報道各社は、今年になって123便のボイスレコーダーの音声を入手、ニュースやワイドショー等でも広く取り上げられた。

コックピットの息詰まる音声は、様々な人に事故の記憶を呼び覚ました。

同じ頃、我々は、カナダに入手したボイスレコーダーの音声を持ち込んでいた。航空機の事故分析のエキスパートに、最新のデジタル解析による音声分析を依頼していた。事故当時には判読不確実とされた個所、それを明らかにすることによって新たな事実が浮かび上がる可能性があった。

事故調査報告書に記された一つのキーワード「オールエンジン」と判別された言葉は、なぜそう読まれたのか?

2万4千フィートの上空で、突然異常事態に見舞われた123便、機内には急減圧があったと報告書は記している。コックピットの状況を調べるために、航空自衛隊で行われた実験を記録したテープがある。この実験にも、一部で疑念が持たれていた。

520名もの尊い命を奪った忌まわしい事故、懸命に機体の立て直しを図っていた乗員たちのやり取りを 

 いま、改めて検証する。

日本航空123便墜落事故

15年目の検証

あの夏、123便はお盆の帰省客を大勢乗せて、羽田から大阪へ向け飛び立った。偶然にも、その時に撮影されたホームビデオが残っている。いつも通りのフライトと誰もが思った。

ところが・・・・

離陸から12分後の午後6時24分、異常事態発生!

東京管制部にも、異常が伝えられた

123便「あー、東京管制部、こちらJAL123便。異常事態発生、羽田に戻りたいので22000フィートに降下したい

東京管制部「了解、要求通りにします」

後に明らかにされるフライトレコーダーの記録によると、123便は上下左右に激しく揺れながら飛行している。コックピットでは、エンジンの推力操作だけで機体の安定に努めていた・・。

東京管制部「大島に向けて進路90度をとってください」

123便「しかし現在、操縦不能」

東京管制部「操縦不能、了解」

123便は、機体を安定させるため、更に高度を下げた。

機関士「ジャパンエアー123、リクエストポジション」

東京管制部「こちらのレーダーでは55マイル ノースウェスト、熊谷から25マイルウェストの地点です」

機関士「了解」

(ボイスレコーダーの音声)

午後6時58分 墜落

123便は異常事態発生から32分後に、レーダーから消えた。

事故現場からは、手帳に記された遺書が発見されている。

異常事態発生から6分後の記述:

こんなことになるとは残念だ。さようなら。子供たちのことをよろしく頼む。今6時半だ。飛行機は回りながら急速に降下中だ。本当に今までは幸せな人生だったと感謝している。

事故から2年後、運輸省事故調査委員会は報告書をまとめた。

123便は事故の7年前、大阪伊丹空港でしりもち事故を起こしていた。報告書はこの時のボーイング社の修理ミスを指摘。これによって機体後部にある圧力隔壁の強度が低下、未曾有の惨事を引き起こしたとしている。

気圧の低い上空を飛ぶ飛行機は、地上と同じ気圧に保つために、機内の圧力を高くしなければならない。

修理ミスのあった圧力隔壁は、客室の気圧に耐え切れず亀裂が生じ、損壊。尾翼は内部圧力が上がり吹き飛ばされ、操縦系統も失われたという。

報告書では、機内の空気が流れ出した証拠として、主に3つの点を挙げている。

機内での霧の発生、減圧警報の作動、そして客室での酸素マスクの落下等である。

日本航空アシスタントパーサーで、123便に客として乗り合わせた落合由美さん。奇跡的に生還した彼女の手記の中の一部に、事故調査委員会は注目したようだ。

「『パーン』という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。」

ボイスレコーダーを解読した結果、およそ1秒間、警報音が鳴ったことがわかる。そして酸素マスクの落下は、写真からも確認できる。

これらの事実から報告書は圧力隔壁の損壊によって、機内の気圧が一気に下がったとしている。

86年にも、飛行中機体の一部が破壊する航空機事故が起きている。

ホノルル空港を離陸したジャンボ機は、高度23,000フィートで貨物ドアが吹き飛んだ。

これは、123便に異常事態が発生した高度とほぼ同じである。

乗客が語るその時の様子。

生還した乗客

「いろんなものが飛び回っていたわ。大きな穴から吸い出されていったの。」

「音がしたの。それから壁が壊れたわ。ヒュッと風が吹いて、怖かったわ。」

24,000フィート、およそ7,300メートルもの上空で、機体の一部が破壊すると一体何が起こるのか。

航空力学の権威であり、東京大学名誉教授でもある加藤寛一郎氏を尋ねた。

123便はどのような状況に置かれていたのだろうか。

加藤氏「胴体などに大きな穴が開くと、空気が一気に漏れるので、客室の中の圧力が一気に飛行機の外側の圧力まで下がってしまうんですね。飛行機の外側の気圧はすごく低いので、人間はみんな死んでしまうから、飛行機の中の気圧は地上と同じまで高めているわけですね。

その客室内の気圧が、一気に飛行機の外側の気圧にまで下がることを『急減圧』と言います。普通は、胴体に大きな穴が開くと、急減圧が起きます。」

日本航空を始めとする航空会社では、機内で急減圧が起きると、乗員は直ちに酸素マスクを付け、急降下するよう訓練を重ねている。

元日本航空のパイロットで、飛行時間8,000時間の経験を持つ藤田日出男氏。123便に乗務していた高浜機長とは、同僚であった。

藤田氏は、早くから事故調査委員会がまとめた報告書に疑念を抱いていた。

123便に急減圧は本当にあったのか?ボイスレコーダーの音声を聞いて、彼は我々に重要な点を指摘した。

「パイロットが酸素マスクを付けていないんですよ、ずーと最後まで。酸素マスクを通しますと、こもった声になりますのでね。

酸素マスクなしで、24,000フィートと言ったら、地上の気圧の半分以下です、約40%近くですね。これは物理的に酸素が足りないですよ。

パイロットの立場から見れば、そういう減圧、急激に気圧が下がったとなれば、直ぐ判るわけですね。耳がツーンと来ますし。」

酸素が地上のおよそ40%しかないコックピットで、高浜機長ら乗員は酸素マスクを付けずに操縦し続けたのだろうか。

我々は、同じ状況下での実験を試みることにした。

パイロットの養成機関でもあるアメリカノースダコタ大学航空学部。パイロットを目指す学生が、急減圧を体験するための実験室がある。

ここでまず、地上の気圧から一気に高度24,000フィートの状況に減圧する。一瞬で空気の抜けたボールは膨らみ、白い霧が発生した。

続いて、24,000フィートの酸素濃度で、酸素マスクを付けずにいると、人体にどのような影響が現れるのか実験する。

実験は日本からの留学生が被験者となり、小学1年生の教科書を繰り返し朗読してもらう。酸素濃度は、地上のおよそ40%である。

(減圧実験風景/朗読の模様の映像)

6分を経過すると朗読はおぼつかなくなり、手の震えが激しくなった。

立会者「手を伸ばしてください」‥‥(被験者の手の震え)

「酸素マスクを付けてください」

24,000フィートの酸素濃度では、5、6分で意識が朦朧とした。これは航空医学の常識と一致する。

123便は、異常事態発生から10分近く24,000フィート付近を飛行している。しかし、乗員は酸素マスクを付けていない。

この点を事故調査報告書では、同様の実験を踏まえ、次のようにまとめている。

「試験結果にもみられるように、個人差はあるものの同機に生じたとみられる程度の減圧は、人間に対して直ちに嫌悪感や苦痛を与えるものではない」

報告書作成のための低酸素症実験は、事故からおよそ1年後の86年7月、立川市にある航空医学実験隊で行われている。その実験の模様を記録したビデオテープを入手した。

被験者は高度24,000フィートの状況で、酸素マスクを付けずに、モニターに映る2桁の引き算を行った。

報告書には「実験は被験者を変えて2回行われ、それぞれ12分間続けられた」と記載されている。

(報告書作成のため行われた低酸素症実験の模様の映像)

実験担当者:「12分くらい大丈夫なもんですね」「計算力落ちないね、全然ね」

情報処理に大きな障害が現れなかった航空医学実験隊の実験結果、一方情報処理に著しい障害が見られた、我々のアメリカでの実験結果。同じような状況で、これ程の個人差が出るものだろうか。

様々な疑問がわく中、我々は当時の航空関係の資料を隈なくあたった。そして、気になる記述に目が止まった。

日本航空機関士会は、航空医学実験隊の見学会を行っている。会報には、そこで聞いた123便を想定した実験の話が綴られている。

「日航事故を想定して、客室高度650フィートを7~8秒かけて24,200フィートに急減圧にした実験で、今まで経験した事がないほど肺から空気が吸出され、すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。」

これが事実なら、低酸素症実験は、ビデオテープに記録されたもの以外にも行われていたことになる。我々は、この手記を綴った元機関士から、直接話を聞く機会を得た。

5年前、日本航空を退職した藤川秀男氏。

記者「その実験は、間違いなく123便のものでしたか」

藤川氏「はい。その責任者の方が、急減圧の責任者の方でしたけれども、事故調査委員会の依頼で行いましたと、普通はそんなことはやらない(それほど急激には行わない)という言い方をしていました。その意味では非常に危険な実験だったように思うんですけれども、123便の状況の実験を依頼されて行ったとおっしゃってました。我々の仲間も聞いています。一緒に行ったので。」

記者「123便事故の報告書はお読みになりましたか?」

藤川氏「一部読みました。全部ではないですが」

記者「急減圧実験のところはお読みになりました?」

藤川氏「あまり影響はないというような記述であったと思いますが、それを読んで、ずいぶん事実と違う報告書になっているなと思いました」

報告書に記載された実験結果と藤川氏が聞いた実験結果。この相違は何を意味するのか。

我々は、当時の担当者(航空医学実験隊)・小原氏に取材を申し込んだ。

電話・小原甲一郎氏「専門家に聞いてくださいよ。専門家はいっぱいいるから。航空医学をやっているヤツがいるから。」

記者「当時担当されたのは、先生じゃないですか」

小原氏「私は15年前の記憶は薄れているから、改めて掘り起こす気はありません。報告書のとおりです。それしか答えようがありません。」

我々の疑問に対する答えは、どこからも得られなかった。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

日航123便は、24,000フィートの上空で圧力隔壁が損壊。これによって急減圧があったとされている。

その時、乗員たちはどのような状況にあったのだろうか。

ボイスレコーダーの音声を改めて聞いてみる。

機長「なんか爆発したぞ」

機長「スコーク77(異常発生)」「ギアみてギア」

事故調査報告書では、音声が良く聞き取れず判読不確実とされた部分にはアンダーラインが引かれている。

異常発生直後に、このアンダーラインが多く見られる。

【事故調査報告書】

(CAP)なんか爆発したぞ

(CAP)スコーク77

(COP)ギアドア

(CAP)ギアみてギア

(F/E)えっ

(CAP)ギアみてギア

(CAP)エンジン?

(COP)スコーク77

(F/E)オールエンジン・・・

(COP)これみてくださいよ

(F/E)えっ

(F/E)オールエンジン・・・

フライトエンジニアが、故障個所を点検した際に発した「オールエンジン」という言葉。判読不確実とされたこの言葉が、事故原因を探る新たな手掛りになるのではと考えた。

当時、123便のボイスレコーダーの音声を担当したのは、航空医学実験隊で主に音声と心理の関係を研究していた宇津木 成介氏である。

現在、宇津木氏は神戸大学で心理学の教授を務めている。15年前の事故調査の記憶をたどってもらった。

「当時、僕の記憶だと、非常に素直に聞くと『おれんみようや』と聞こえたんですよ。それで恐らくこのキャプテンの「オールエンジン」というのは、かなり確かだと思うんですけれども、その後にあるこのF/Eの声が、エンジンのチェックをしたのではないかと我々は判断したんですね。

ただ、どれだけの自信があったのかと言われると、率直に言って絶対にこうですとは言い切れないから、下線を引き、また後ろも『・・・』になっているんですね。」

真相はどうなのか。我々は、ボイスレコーダーの音声を持って、カナダに飛んだ。最新のデジタル技術を持ってすれば、当時は判読出来なかった言葉がわかるかもしれない。

オタワ市郊外に、主に航空機関連の分野で国際的に活躍する航空事故調査会社がある。セレリス社(CELERIS AEROSPACE CANADA INC.)。アメリカ・カナダ両政府の航空機事故の調査機関もクライアントである。

今回の我々の依頼に対して、セレリス社は興味を示し、社長自ら現場に立ち会うことになった。

8年前、セレリス社を設立したスティーブ・ホール氏。航空宇宙業界で24年のキャリアを持つ彼は、カナダ航空やロールスロイス社等多くの組織に携わってきた。

音声分析には、コンピューター制御システムのエキスパートがあたる。航空宇宙のみならず幅広い専門知識を持つアンドリュー・ムーア氏。彼はボイスレコーダーのデジタル信号処理を担当、その分析能力は高く評価されている。

これまでセレリス社は、独自のソフトウェアを使って、ボイスレコーダーの音声から、航空機事故の原因を解明してきた。

」(音声再生)

ホール氏「ギアの前の言葉は何だ?」

更に速度を落として再生してみる。

ホール氏「『なんとか(something)ギア』だ」

ホール氏「『オールエンジン』とあるがそうは聞こえない」

ムーア氏「『オールエンジン』の波形とは違います」

ホール氏「スコーク77の後は、オールエンジンではない。もう一度聞いてみよう」

・・・・・・・

ムーア氏「ここに(子音)gがあります」

「オールエンジン」とされた言葉の後半は、「ギア」と判断。不明な前半は、更に細かく分析された。ムーア氏は、音声周波数の波形から、言葉を構成する母音と子音に分けて推察していく。

ムーア氏「bかpの子音の後に母音がある。母音と子音は別の特徴を持つ。ここは長い子音で、長く下がっていますね。dyかもしれない。2つの子音がつながっている。長いLかもしれない。プルイン(pull in)とも考えられる。」

分析の結果、「プル イン ギア」という言葉が浮かび上がった。
しかし、これは未だ仮説に過ぎず、bとdyを含む言葉の可能性もあった。

ノイズを取り除いた音声を、改めて元日航パイロット藤田氏に聞いてもらった。「プルイン ギア」という言葉を、日本人のフライトエンジニアが使う可能性はあるのだろうか。

藤田氏「『プルイン ギア』というのは、どういうアクションの意味でしょうか」

ホール氏「あまり使わない言い方ですが、ギアを引き込むという意味です。」

藤田氏「そういう時は、普通は『ギアアップ』と言います。日本航空の中では、まずそういう言葉を使うことはないですね。私に聞こえるのは『ボディー(body)ギア』。ジャンボジェット機は大きな車輪が4本あります。そのうち胴体側のものを『ボディギア』というんですけれども、そのことを言っているように私は聞こえます。」

藤田氏「もし、この部分が報告書にある通り『オールエンジン』であるとしたら、大きな音の後に、パイロットが『ギアみてギア』と言って、機長がエンジニアに尋ねてるわけです。それに対して、エンジニアが『ボディギア』だと、ボディギアに何かがあったと機長に報告していたとすると、会話としてかみ合ってくるわけですね。

もしこれが『オールエンジン』だったら・・・・、意味がわからないです。」

「ボディギア」・・・その言葉から、事故をもう一度検証する。

(日航123便のボイスレコーダーの録音テープ)

異常事態発生直後のコックピットで、フライトエンジニアが発した言葉、事故調査報告書では「オールエンジン」とされていた個所は、最新のデジタル音声解析によって、全く別の言葉である可能性が出てきた。

ホール氏「『オールエンジン』とあるがそうは聞こえない」

ムーア氏「オールエンジンの波形とは違います」

そして、元日航パイロットは一つの言葉を導き出した。

藤田氏「ジャンボジェット機は大きな車輪が4本あります。そのうち胴体側のものを『ボディギア』というんですけれども、そのことを言っているように私は聞こえます。」

「オールエンジン」とされた個所に「ボディギア」という言葉を入れてみると、会話はある意味をなす。機長が「ギアみて」と投げかけた言葉に、フライトエンジニアが「ボディギア」の異常を告げていることになる。

「ボディギア」とは、・・

ジャンボ機の胴体部分に取り付けられた車輪、これがボディギアである。

ボディギアには、飛行機が離陸した際、前後の車輪の角度が変わることで、機内の気圧を調整する機能が備わっている。

ところが、ボディギアは胴体に格納されると、機械的なものでは固定されない。機内の気圧にも影響を与えるボディギアが、何らかの衝撃でずれる可能性はあるのだろうか。

記者「動いちゃうものなんですか。格納された車輪ですよね。」

元日本航空機関士・藤川氏「普通、脚(車輪)はロック・固定されるシステムになっているんですが、たまたまボディギアはロックする機構になっていなくて、油圧でホールド(保持)されているだけなんです。そういう意味では、油圧がなく機体が大きな振動で動いたために動く可能性はあると言われています」

仮に、尾翼が爆発したとする。この衝撃でボディギアが動くと、コックピットの計器は車輪の異常を示す。同時に、機内の気圧は自動的に減圧される。更に衝撃で酸素マスクが落下する。

生存者が証言している白い霧も、ボディギアの誤作動による一時的な減圧で発生する。

報告書は、「修理ミスに起因する圧力隔壁の損壊により急減圧が発生、流れ出た機内の空気が尾翼を吹き飛ばした」としている。しかし、急減圧を裏付ける証拠としてあげている客室の霧の発生や酸素マスクの落下は、ボディギアの異常でも説明がつく。

123便は本当に圧力隔壁が損壊され、急減圧が起きたのか。

事故原因を圧力隔壁の損壊と推定した報告書に誤りはないのだろうか。

我々は、当時航空医学実験隊で、音声分析を担当した宇津木氏を再び訪ねた。そして、カナダでノイズを除去した音声を聞いてもらった。

宇津木氏「『ギア』といったように聞こえたんですが。」

(もう一度聞く)

宇津木氏「今聞いた感じでは『おれ』のところは『おれ』といった感じだけど、その後『ギア』と言っている感じが強いですね」

記者「『オールエンジン』という言葉があの流れで出てくることは、コックピットの会話上あまり無いそうなんです。『ボディギア』ということであれば、『ギアみてギア』というのが先にあって、会話が成り立つというんですね。その意見について、どうお感じになりますか。」

宇津木氏「その方が、話としてはすっきりすると思いますね。」

記者「当時は、ノイズを外す作業はなさらなかったんですか?」

宇津木氏「基本的にはしていません。僕ら自身は、どこかにノイズリダクション(雑音除去)の会社に依頼していくらでできるといった発想はなかったですね。」

記者「では、ノイズを外して聞いてみたいんだという提案もされなかったということですか。」

宇津木氏「いや、ノイズが外されればいいという話はしました。ただ、基本的にあのテープというのは、部外には出さないで下さいと。」

123便の事故調査には、当初ジャンボ機の操縦経験者が加わっていた。しかし、日航のOBということで、調査の公平を期すために、委員会から外されたと言われている。

そのため、30名から成る事故調査委員会のメンバーの中で、操縦経験があるのは一人だけだったと宇津木氏は証言する。

元航空大学校の教官で、民間航空での経験のない西村 淳氏である。

宇津木氏「それは実際問題として、僕らもずいぶん言ったんですよ。ジャンボの操縦経験のある人に聞いていただいた方がいいんではないですかって話は何回かしました。だけど、基本的には守秘義務の問題もあるから、今の段階で少なくとも、民間の方に聞かせるわけにはいかないでしょうとの判断だったと思います。」

運輸省の閉鎖的な官僚主義、これが、結果として完璧さを欠くまま、事故調査を終わらせたのではないだろうか。

2年の歳月をかけた報告書は、300ページにも及ぶ。

しかし、我々が会った航空関係者の多くは、今なおその内容に疑問を呈している。カナダ・セレリス社のホール社長も例外ではない。

ホール社長「事故調査報告書の英訳を読んで、とても興味深く思いました。事故の原因は究明されたと思っていましたが、たくさんの疑問が湧いてきたからです。私が特に理解できないのは、十分な海底調査をしていないことです。報告書では、爆発的な減圧が起こり、機体尾部を損壊したとしています。多くの残骸が相模湾に沈みました。その相模湾を、少しだけ捜索し終了させてしまったという印象を受けました。」

相模湾上空で、突然尾翼の3分の2を失った123便。

海底に沈んだと思われる残骸は、音波探知機や深海カメラなどを使って捜索された。

しかし、回収された物は決して多くはない。特に、事故原因を探る物的証拠となるかもしれない垂直尾翼は、全体の7割が回収されず、いまだに海の底に眠ったままだ。

2度と同じ事故を起こさないためにも、徹底した捜索をすべきではないのか。

我々は、運輸省に事故調査の再開を求め、その答えを待った。

123便の事故調査再開を求めた我々に、運輸省から次のような回答が寄せられた。

「調査報告書は専門家による慎重な解析の結果であり、誤りはないものと考えております。再調査を行う予定はありません。」

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

8月12日、今年も高浜機長ら乗員の家族が御巣鷹山に登った。この日が来る度に蘇る、あの夏の記憶。

事故当時、中学生だった長男は、いま社会人である。

520名の犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑が、今年新しく建てられた。

この慰霊碑から少し離れたところに、乗員3名の墓標がある。コックピットで全力を尽くした3人が、ここに並んでいる。

高浜機長の後輩にあたる日航のパイロットが、墜落現場から遠く離れた沢で、何かを見つけた。どうやら123便の残骸のようだ。

15年経った今なお、風化することなく、何かを訴え続けているかのような、事故機の遺物。

「オートマチックと書いてある。ドアモードのですね。」

「これはハニカム。たぶん床材でなく、壁材、薄いからね。」

「上から水で流されてきたんでしょうね。珍しいですね。こんなの見つかるなんて。L-5。左側の一番後ろのドアの・・・」

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

日航123便墜落事故。15年を経て、航空機事故の解析技術は格段に進歩した。我々が試みた、ボイスレコーダーの分析だけでも、事故調査報告書の記述を覆す言葉が浮かび上がった。

疑念がある限り、運輸省事故調査委員会は、事故原因究明の道を閉ざしてはならないはずだ。

ザ・ノンフクション 終

日本航空機長組合