「706便事故裁判」

   

事故調査報告書内容について〜事故調査委員会による事故調査

事故調査委員会による事情聴取(操作の詳細は聞く耳なし)

 

第1回事情聴取(1997年6月9日):事故調査委員会S調査官
1回目の事情聴取は事故の翌日の1997年6月9日午後、S次席調査官を中心に、事故調査官3名により約1時間行われ、事故当日の流れを一般的に解説するものであった。一連の乗務パターンの説明、事故当日の朝、出発前に名古屋で受けた情報やその後の飛行中に無線を通じて受けた情報、および航路上の揺れの状況など一般的な仕事の流れが質問の中心であったが、降下中の雲や揺れの有無など気象状況に関しては若干詳しい説明を求められた。しかし、問題の揺れが発生した前後のことは特に詳細な質問はなかった。
 
第2回事情聴取(1997年6月16日)
第2回事情聴取は同年6月16日に行われ、MD11の自動操縦装置の降下に使うモードと、その操作方法やスイッチ類の名称などについてAOMに記載してある内容を中心に30分程度質問が行われ、その後は30分ほどの雑談となった。事故当時の詳しい状況やどのような操作を行ったかについての質問はまったく出なかった。

 

第3回事情聴取(1998年3月17日)
第3回の事情聴取は事故翌年の1998年3月17日に行われ、1時間半ほどベルトサイン点灯のタイミングや負傷者発生後の対応などについてかなり詳しい質問がなされた。救急救難体制についての改善点などの意見も求められた。この時も操作に関する質問は一切なされなかったので、早急に事故当時の操縦に関して説明の機会を設けるよう要請したところ、「分かりました」との返答であった。。
 
建議と経過報告
事故発生から3ヶ月ほど経った1997年9月5日、事故調査の途中経過として「建議と経過報告」が発表された。それによれば、機首変動の要因としてPIO(Pilot Induced Oscillation)の可能性を挙げ、このような事態が発生しないように対策を求めるとしている。PIOという現象は、操縦系統の反応時間の遅れと人間の反応時間とが相互作用し、修正操作が操縦士の意図に反して振動を増大させてしまう現象で、操縦系統の性能上の問題であるが、事故調査委員会はこの現象を不適切な操縦と捉え、訓練の強化やマニュアル類の整備を求めている。
事故調は最終報告書の発表直前までPIOの意味について米国に問い合わせを行っており、委員会の中で正しい意味合いが認識できなかったものと思われる。
 
意見聴取会
1999年4月5日、事故調のW首席事故調査官から706便事故調査報告書案に係る意見聴取を行う旨の連絡があった。連絡書簡には1999年4月13日10時30分より霞ヶ関合同庁舎にて行うと記され、事故調査報告書原案が添付されていた。その注意書きに「意見聴取は、貴殿に関係のある事項を示して非公開で行われます。ご参考までに、貴殿に関係ある事項の要旨を別添のようにとりとめて同封します」と記載されていた。

同封された報告書案は29ページで、最後のページには"原因"として「本事故は、同機が着陸のために降下中、シートベルト着用サインが点灯後、機体の急激なピッチアップとそれに続くピッチ変動の繰り返しが発生したため、乗客および乗員が負傷したことによるものと推定される。負傷者は、軽傷であった1名を除き、シートベルトを着用していなかったものと推定され、このことが負傷の発生に関与したものと推定される。(以下に、解析に沿って、機体の急激なピッチアップとそれに続くピッチ変動の繰り返しについて、発生した過程および関係した要因の要点を記述する予定)」と記載されて、送付された報告書案はそこで終了していた。

これまでの報道による事故調査の方向性では、機長の操作が焦点になっていたが、送付された報告書案では機長の操作には一言も触れられていなかったため、不審に思った当該機長が「ここに書かれていないことは私には関わりがないと考えていいのですか」との主旨で書簡にて事故調に問い合わせを行ったところ、「貴殿に関係のある内容は、すでにお送りしました文書で尽くされていますので、これに対してご意見をお述べください」との返信があった。さらに腑に落ちない機長は、「では、ここに書かれていないことが今後出てきても、私には無関係であると理解します」と電話で直接確認したところ、「それはちょっと・・・。検討します」との答えであった。

その数日後、事故調から送られてきた追加資料には、その後の起訴の主要な理由となった「速度が増加したために機長が自動操縦をオーバーライドして操縦桿を引いた」「オーバーライド操作により自動操縦が解除し、その反動で機首上げが生じた」「その後に操縦桿に加えられた力と機体特性の相互関係により、ピッチ変動が繰り返された」との記述が記載されていた。

そのようなやり取りがなされたため意見聴取は予定の13日に行うことができなくなり、1999年4月20日に再設定された。事故調査委員会から送られた追加資料の主旨は、これまで一度も説明を行う機会が与えられなかった操縦操作に関する記述であったため、当該機長は操縦操作に関する部分を中心に、意見とその根拠となる資料を文書にまとめて提出し、5時間以上にわたって説明を行った。

その間、事故調査官からは一言も質問がなく、全ての説明が終わったあとW首席調査官は「報告書をまとめるに当たり、あくまで真実を追及する姿勢もいいが、5年も10年もかかったのでは現実的でない。真理に到達できなくても、外堀が埋まれば役に立つという考えもある」と述べて締めくくった。

意見聴取の場で、まだ事故当時の操縦操作に関する説明を行う機会を与えられていないことと、早急に事情聴取を行うことを文書にて申し入れを行った。
 
事故調査報告書公表
最終的には意見聴取会で述べた意見の一部は採用されたが、事故の主たる原因とされる「自動操縦中の操縦桿へのオーバーライド」については、多くの論理的矛盾を抱えたまま変更がなされなかった。
  
第3回聴取時や意見聴取会でも文書で、操縦操作に関する事情聴取を行う事故調査報告書よう要請を行ったが、揺れが発生した当時の詳細については事情聴取が行われることなく、1999年12月17日、事故調は706便事故調査報告書を公表した。機長から詳細な聴取を行っていないため当然の結果ではあるが、報告書の「機長の口述」は、事故直後に当該機長から当時の運輸大臣に提出された機長報告書や他の乗員からの証言、事情聴取証言などで語った言葉をつぎはぎし、機長の記憶とは全く異なる記述がなされていた。例えば「スピードブレーキを作動させた時にオーバースピードしてしまい、大体それと同時に自動操縦装置が外れてピッチがグーと上がり・・・」と述べたことになっているが、これは機長報告書の記述に基づいた内容を口述風にまとめたもので、香港から名古屋までの3時間を越える飛行を1300字程度の報告にまとめた表現の一部である。この表現をもって、後に事故調査委員が法廷で証言した際も、「機長は"自動操縦が切れてピッチが上がった"と述べているので、ピッチ変化は自動操縦が切れた後に始まったものである。また、機長は自動操縦が解除したことを知っていた」と述べたが、機長報告書は事故当時の状況を1秒の何分の1かの正確さで時系列にしたがって述べたものではなく、事故当時に体験した事柄を概要として並べたものである。このような詳細で重要な内容は当然事情聴取によって機長から詳しく説明を受けて調査を行うべきものである。このような点にも、事故調が当初から事故のシナリオを「急激な速度増加を押さえようと操縦桿を引いたことが事故の主原因」決めてかかり、そのシナリオを否定するような証言は始めから避けていたことが伺われる。

また、事故3ヶ月後の経過報告では操縦桿にかかる力の記録(CWS)はピッチが上がり始めたところに合わせてあったために、昇降舵の動きとマッチしない記録となっていたが、機長組合などにその点を指摘された事故調は、CWSのグラフを他の項目と比べて1秒遅らせて昇降舵の動きに合わせたグラフを最終報告書に記載した。このことがかえって"操縦桿に力が加わる前にピッチが上がり始めている"という矛盾を生んでしまい、裁判における無罪判決の理由の一つともなった。

事故調査は勤勉で熟練した専門家によって行われるべきであると言われているが、シナリオに合うように証言や飛行記録を改変するような事故調査は、事故の再発防止には全く寄与しないばかりか、危険要因を隠してしまう結果となる。このような将来の航空の安全に与える多大な悪影響を、事故調は認識しているのであろうか。
 
事故調査内容の警察への提供
事故から3ヶ月後の「経過報告」とそれに続く報道が、不適切な操縦操作と取れる表現であったことから、警察は機長を業務上過失罪で立件するために本格的な捜査を開始した。機長に対する事情聴取は経過報告の1ヶ月ほど後から始まり、3ヶ月間に8日間、そして事故調査報告書の公表後の2000年3月に3日間の延べ11日にわたる聴取が行われた。この間の警察の事情聴取は、「操縦ミス」を立証するために、報告書公表前も経過報告の内容よりはるかに詳細なデータを示しながら行われた。担当刑事は事情聴取を終えるたびに事故調査委員会に確認を行っていた模様で、翌日の聴取で「この説明は違うと専門家が言っている」とか、「(罪を認めると)腹を括るなら、もっと詳しいデータも見せてやれる」などという刑事の発言もあった。

事故調査報告書が発表されたのは1999年12月17日であったが、それに先立つ12月14日、事故調査委員会事務局総務課長は名古屋空港警察署長宛に「鑑定嘱託について(回答)。平成9年6月10日付空捜発第161号および平成9年10月31日付空捜発第349号で嘱託のあった標記について、航空事故調査委員会設置法第20条の規定に基づき、別添のとおり事故調査報告書を取りまとめましたので、これをもって回答します。なお、本報告書は、同条の規定により運輸大臣に提出した後に公表することとしておりますので、公表までの間は取り扱いにご配慮をお願いします」との前書を添付し、事故調査報告書を鑑定書として警察に提出した。
本来の提出先である運輸大臣に対するよりも3日も早く警察に鑑定書として提出したことは、覚書の介在による事故調と警察との癒着がうかがえる。
 
情報公開請求への対応
日乗連と当該機長は独自の原因調査を行っていたが、資料としてすでに発表されていた飛行記録グラフでは具体的な数値が不明であるため、基となったDFDRの数値データを事故調査委員会に対して2度にわたって情報公開法に基づき開示請求を行った。これに対する事故調査委員会の回答は、「国際民間航空条約付属書13の規定により、事故調査資料は開示できません」というものであった。裁判が始まった後も、事故調査報告書の内容についての質問に答える事故調査委員は、報告書の疑義に対して都合の悪いことは「報告書にそう書いてあるとしか言えません」と述べる一方、報告書内容を補強するためには「シミュレーターで検証を行った人は、機首振動が再現できたと言っていた」とか「操縦桿を引いたのだろうと思った」あるいは「修正操作は、窓枠の隅と水平線をあわせるように操縦したものだろう」などと、根拠を示さないまま伝聞や推測を述べている。

また、706便事故調査中となる199X年XX月、事故調査委員会は「情報公開法が施行されることを考慮し・・・」として、過去の事故調査関連資料を大量に廃棄処分している。これは、以前から問題提起され社会的にも高い関心を集めていた123便事故の調査内容への疑問と、再調査への世論の高まりに苦慮していた事故調が、情報公開法の施行にこじつけて渡りに船とばかりに都合の悪い資料等を処分し、再調査への道を塞いだものと考えられる。
 
後に明らかとなった事故調査実施上の問題点
706と同様に「CRMによりAPが解除し、機首上げが発生した事例」が、事故当該機であるJA8580にて1998年3月8日および同月18日に複数回発生した。これらの類似事例は706便のAPの解除および機首変動に重要な関連性があるとの組合の指摘にもかかわらず、事故調は「事故扱いになっていない」ことを理由に、同種事例としての調査を行わなかった。その反面、事故調査報告書にはフラップハンドルの不適切な設計によりスラットが意図せず展開して機首上げになった事故事例や、激しい乱気流中でAPが解除して機首変動が継続した事例を上げているが、これらはいずれも事故調が706事故原因に挙げている「APをオーバーライドしたことによる解除とそれに引き続く機首変動」とは無関係な事象である。

事故調はJAL運航技術部を通してAPのオーバーライド操作を行った場合の機体の反応についてダグラス社に問い合わせを行い、その回答を受けてJAL運航技術部から1997年7月17日に説明を受けている。ダグラス社からの資料によれば、「20lbs以下の力が操縦桿に加わっても、Pitchには影響せず、APを解除するには170ktにおいて30lbs程度、300ktにおいて50lbs程度の力が必要である」というダグラスの情報を受けていたが、この情報とは裏腹に20lbs未満の力の記録しかない48分15秒からオーバーライドが始まっているとの記載を行なっている。

事故調は1997年7月27・28日、ロングビーチにおける事故調およびダグラス社技術部員などとの会議において、ダグラスに706便事故の「事実、解析、結論、勧告」についての調査を依頼し、ダグラス社からは1997年9月15日付けでその回答をFAXにて受け取っている。ダグラス社からの報告内容は、MD11の機体そのものは正常に機能しており、APの解除とその後の機首変動は「パイロットの操作が唯一の原因」であるとするものであった。事故調は、この内容を基に最終報告書を作成している。つまり、706便事故調査は、最大の利害関係者であり直接の原因関係者となるダグラス社による調査であった。
 
報告書内容の問題点
706便事故調査報告書の推定原因
  1. 速度が増加したために、機長が操縦桿を引いて機首上げをしようとした
  2. 操縦桿を引いたために自動操縦装置が解除し、その反動で急激な機首上げが生じた
  3. 姿勢を立て直そうとして操縦桿を押し引きしたため、PIOと呼ばれる機首振動が発生した

しかし、これらは飛行記録から明確に否定されるものであった。

  1. 706便事故当該機の機首上げの初期に、操縦桿に7〜19lbsの力が記録され、緩やかに機首上げが始まっている点を指している。事故調査委員会は、速度が急激に増えてきたので、慌てた機長が操縦桿を無理に引いたものと推定しているが、裁判の中で明らかになった証拠によれば「自動操縦中に20lbs以下の力を操縦桿に加えても、機首姿勢は変化しない」という情報が、事故から20日ほど後に事故調査委員会に送られており、その資料からはこの部分の機首上げが操縦桿にかかった力によるものという推定は否定されるものであった。
     
  2. 飛行記録から自動操縦の解除は機首姿勢がほぼ上がりきった頃に発生していることから、事実に反する推定であるといえる。
     
  3. 「操縦桿操作を行って実際に機体が反応するまでに約1.7秒を要する」という、MD11の性能に関するダグラス社の資料を基にすれば、操縦桿の動きと機首姿勢の変化がマッチせず、人為的に発生した機首振動でないことが分かる。また、グラフによれば「機首上げ時に操縦桿は機首上げ方向に動き、機首下げ時に機首下げ方向に動いている」ことから、操縦桿にかかった力の記録は、機体の動きによって機長の体が動かされたことによって生じたものだと考えられる。

これらの点については機長の主張が控訴審で認められ、
完全無罪判決の主たる理由となった。

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